五十子陣
五十子陣([本庄城 周辺城郭])
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五十子陣の口コミ情報
2022年04月12日 ジュニア越後守
国道17号沿い天狗茶屋の隣の建物裏に小さな公園があり、そこに説明板が設置されていました。本庄カルタ横に案内表示あり。
2021年02月26日 国府左京大夫城介
享徳の乱における山内上杉氏の居城
【歴史】
関東管領の上杉房顕が、康正3年(1457)に古河公方の足利成氏と対峙するために築城し、享徳の乱における居城として機能した。この地を巡って、断続的に合戦が起きている。文明9年(1477)に、古河公方方に寝返った長尾景春(長尾景春の乱)によって攻め落とされ、廃城となった。
なお、文献資料上において、五十子城という記述はないため、五十子(の)陣と表記されている。
【遺構】
本庄城南東約2.8kmに位置し、女堀川と小山川に挟まれた段丘崖に築かれている。
城は3つの郭からなっていたらしく、各郭の間には空堀があったらしい。東西1km、南北500mとかなり広く、一時的な陣城ではなく、山内上杉家の拠点に相応しい居城である。
明確な遺構としては、1郭(現・小山川水循環センター)の南側の空堀が残っている。また、地形に当時の城の面影を感じさせる場所が数か所ある。なお、遺構は埼玉県の埋蔵文化財包蔵地となっている。(東五十子城跡遺跡(県遺跡番号53-034、53-035))
【感想】
享徳の乱を調べると、この五十子陣というのが良く出てくるので、一度は行ってみたかったお城です。事前に調べた通り、遺構はほとんど残っていないが、1郭の南側の空堀は綺麗に残っており、かつては城の跡であることを思い起こさせてくれます。ただし、中に入れないので、遠くから見ることしかできません。また、1郭と2郭の間の空堀は、周囲の地形と道の形状から往時の空堀の形を推測できます。女堀川の土手を歩くと、1郭のかつての切岸らしき地形を確認することが出来ます。
街中を探索することで、往時の面影を見つけることを楽しめるお城だと思います。
【アクセス】
深谷駅からレンタサイクルで、30分。
本庄駅から徒歩で40分。
岡部駅から徒歩で45分。
【写真】
1:1郭南側の空堀
2:1郭と2郭の間の空堀跡
3:1郭北側の切岸
4:本庄かるた(スポットの場所)
5:2郭跡
6:2郭の南西に位置する若電神社(古墳)