勝願寺
勝願寺([源経基館 寺社・史跡])
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勝願寺の口コミ情報
2025年03月21日 マグロ常陸介祐平
浄土宗の関東十八檀林の1つで、諸説あるようですが鎌倉時代に執権北条氏の寄進により創建されたと伝わります。
菩提寺として丹後丹後田辺藩牧野家(写真5枚目)、関東郡代伊奈家の墓(写真8枚目)がある他、慶長19年に江戸からの帰途に鴻巣で亡くなった仙石秀久の墓、元和6年に湯治の為草津に向かう途中に鴻巣で亡くなった真田信之の妻小松姫の墓(当寺は元々小松姫が帰依、墓は一周忌に娘の松姫が建立)、小松姫の息子で鴻巣で客死した埴科藩主の真田信重の墓が3基並んでいます(写真3枚目)。親子揃って同じ宿場で亡くなるのは、なんとも不思議です。
また、勝願寺は結城秀康が結城から福井に国替えとなった際に結城城の御殿を移築、明治3年に全壊するまで本堂として使用され、伽藍は結城御殿と呼ばれていたそうです。結城御殿を描いた江戸時代の絵図が残っていますが、お寺の山門から西側を土塁が囲んでおり、今でも歴代住職の墓域にはL字型の土塁(写真1,4枚目)が見られます。
2022年07月11日 つか征夷大将軍ぽ
勝願寺は浄土宗第三祖 然阿良忠上人が鎌倉幕府執権北条経時から登戸の土地の寄進を受けたことが始まりです。創建の時期は諸説ありますが建長4年と伝えられます。天正年間に圓蓮社惣誉清厳上人が現在の場所に移設し再興します。
文禄元年、鷹狩の際に勝願寺に立ち寄った徳川家康 が住職の円誉不残と意気投合して、徳川家の庇護を受けるようになりました。徳川家の家紋「三つ葉葵」の使用も許されます。
大名家のお墓がいくつかあります。
公開されていませんが、丹後国田辺城城主牧野家累代の墓が有りますが石戸藩から流れでしょうか。
他に伊奈忠次、伊奈忠治、仙石秀久、真田信之の三男真田信重、信重の室、小松姫のお墓もあります。
説明によると、仙石秀久も真田信重も小松姫も鴻巣で亡くなったそうです。