別所屋敷
別所屋敷([大堀山城 周辺城郭])
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別所屋敷の口コミ情報
2026年09月09日 マグロ常陸介祐平
新編武蔵風土記稿の青木村の条に屋敷跡として「村の北、小名別所にあり。爰は小沼、塚越の二村に挟れる所にて、往昔武士の居住せし跡とのみ傳へて、姓名も知らず。構えし内、南北の廻りに小土手、今に残れり。其外皆畑となる。此畑の中より甲冑・刀・鎗の類、朽たるものを穿出せしことありと。想うに當国七黨の内、丹の黨に青木氏なる者あり。其人の居住せし所なるも知べからず。(以下略)」と記されています。江戸時代後期には、屋敷の主は不明となっており、小さな土塁が南北に残り、畑からは武具が出土していたようです。丹党青木氏が居住していたかも知れないとしているものの、青木氏の本貫は飯能なので違和感がありますが、入間郡誌の青木村の条には「八幡神社に神鏡あり、裏に網代綾部藤原清房並び田中和泉守藤原光政とある。元領主青木氏の鎮守にして、網代・田中の両氏は青木氏に属する武人にて、其族今尚当所に残れりと云るものあり。」と書かれているようで、埼玉苗字辞典ではこの青木氏を鍛冶師としています。
近年まで遺構が見られたようですが、高い塀(簡易的なもの)が出来てしまい、確認できませんでした(写真1枚目)。背後はトラックの駐車場のようになっているので、消滅しているかもしれません。隣接する東光寺との間の道に沿って空堀状の溝が部分的に見られますが(写真2枚目)、微妙です。
東光寺は、勝呂氏の館跡とされる大智寺の末寺で、元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉攻めの際に別所山で休息していたところ、東と西に光を放つ所があり、その所に東光寺と西光寺を建てたとする伝承があり、青木氏の菩提寺として信仰されたようです。東光寺は檀家以外の立ち入りを拒む感じがあったので、説明板(写真3枚目)のみ撮影して立ち去りました。
お城の南側には、全長47mの前方後円墳「雷電塚古墳」があり(写真4,5枚目)、古くから有力者が住んでいたことがわかります。









