勝呂館
            
          
勝呂館([大堀山城 周辺城郭])
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勝呂館の口コミ情報
            2025年10月27日 マグロ常陸介祐平
              
 
              
 
              
 
              
 
              
 
              
 
              
 
              
 
              
              
            石井の大智寺(写真1枚目)が館跡となります。勝呂氏館(現在の宗福寺)に移る前の、勝呂氏の居館とされます。大智寺付近の小名(小字)は勝呂で、名字の地と思われ、風土記稿には「勝呂氏先祖の住し所と云」としています。
遺構としては、文殊堂の裏に僅かに土塁と空堀が残っています(写真2~5枚目)。城主とされる勝呂恒高は鎌倉時代の人ですが、遺構はお寺の外周として利用された訳でもなく、そこまで古いものなのかは、微妙な感じがします。
大智寺の創建は古く、大同2年(807年)とされています。荒廃していたお寺を江戸時代になって再興したのは、幕府の長崎奉行や大目付を務めた黒川丹波守正直で、大智寺には正直の墓があります(写真7枚目、県史跡)。また、お寺の建物は特徴的で、本堂はステンドグラスの美しい洋風のアルミニューム製(写真6枚目)、鐘楼は櫓風の建物で、塀越しに見ると城郭の櫓のように見えてしまいます(写真8枚目)。
          
            2025年09月02日 河堤北星
            とある理由から最近話題になっている(らしい)石井大智寺にある城館跡です。綺麗なお寺でした。ということで、毎度城郭基本情報載せときます。
城郭基本情報
名称(よみ)  勝呂館(すぐろやかた)
通称・別名   須黒館、勝呂恒高館
所在地     埼玉県坂戸市石井2331、2334
問い合わせ   坂戸市教育委員会、大智寺
分類・構造   城館
天守構造    なし
築城主     勝呂(須黒)氏
築城年     鎌倉期
主な城主    勝呂恒高
廃城年     承久3年(1221)頃?
遺構      堀、土塁
指定文化財   黒川正直之墓(埼玉県指定)
再建建造物   なし
跡地      大智寺、緑地、宅地
アクセス    東武東上本線北坂戸駅より徒歩20分
おすすめ度   ★★★☆☆
見学所要時間  10分
服装目安    軽め
説明
勝呂館(すぐろやかた)は埼玉県坂戸市石井にある日本の城館跡。
勝呂恒高の居城とされ、勝呂恒高は『吾妻鏡』に登場する須黒兵衛太郎と同一人物とされている。
なお、勝呂恒高は承久の乱で討死しており、子孫は付近にある勝呂氏館に居城を移し、戦国時代には北条氏に仕えている。
感想
城跡に寺が建っているよくあるパターンでした。大智寺はそこそこ大きいお寺で、一見すると教会に見えるお堂が見どころです。
城跡としても、土塁や堀だったと思われる遺構も多くあり、付近の城館と比べても見応えはあると思いました。
館跡に建つ大智寺は所在地も含めると「石井大智寺」となります。とある野球選手と名前が同じみたいで、お寺には某虎球団の必勝祈願が多くありました。ちなみに、大智寺の一部の住所は2 334。
攻略情報
北坂戸駅より徒歩になります。まぁまぁ大きい寺なので地図等見れば迷うことはないかと思います。くどいですが、勝呂氏館は別の物件ですので…
          


              
              






