小見野氏館
小見野氏館([大堀山城 周辺城郭])
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小見野氏館の口コミ情報
2026年09月03日 マグロ常陸介祐平
大串次郎の館から南西に約1km、大見野氏の館とされています。武蔵七党の内、児玉党浅羽小大夫行業の子の小見野四郎盛行がこの地に住み在名を名乗っています。
吾妻鏡に建久元年(1190年)の源頼朝の上洛の隋兵として小見野四郎の名が見られ、熊野那智大社の御師の家に伝わる「米良文書」(室町時代)の越生一門名字書立の中に小見野姓が見られるようです。武蔵七党系図には盛行から七代後の弥二郎近行まで掲載されることから、室町時代までこの地に居住した可能性があります。また、小野系図では、近隣の大串氏と姻戚関係があったことが記載されているようです。(埼玉苗字辞典より)
小見野氏の館は、法鈴寺付近とされるようです。お寺は微高地となっており、東側から北側には段差がみられ、北側の工場の間には水堀の痕跡かもしれない水路が見られます。また、お寺の南側の住宅は西側を除く3方を水路が囲んでおり、それらしい雰囲気を感じられます(地域的に水路が多い)。
風土記稿によると、法鈴寺は開山の曇秀が寛政4年(1792年)に亡くなっており、小見野氏との直接的な関係はないように思われますが、小見野地区に末寺を5寺も擁し、下小見野氷川神社の別当を務めるなど有力なお寺で、境内には板碑も3基見られることから、小見野氏に関係する古寺が存在していた可能性もあるように思われます。
2020年12月28日 拓之助弾正少弼
下小見野の法鈴寺が、小見野氏の館跡とされています。
小見野氏館は武蔵七党・児玉党、浅羽氏の流れをくむ鎌倉時代の武士でした。
この館は築城年代が不明で近くに大串次郎館があるため難しい所ですが、伝承はここ法鈴寺でした。
遺構は境内の東側、南東側に土塁状の段差や空堀状の溝があります。
また鬼門には鬼門除けのような隅欠けとなっていました。









