中山陣屋
中山陣屋([大堀山城 周辺城郭])
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中山陣屋の口コミ情報
2026年04月19日 マグロ常陸介祐平
川越藩主で老中を勤めた秋元涼朝は、田沼意次と対立して老中を辞し、山形へ転封となります。その際に中山村を含む川島領の約6千石は飛地として秋元氏がそのまま領有することになり、中山陣屋が置かれています。
風土記稿では陣屋ではなく「小屋場」として取り上げられ、役人を置いて税務を沙汰したとしており、あまり立派なものではなかったのかもしれません。現在は小学校となり遺構は残っていませんが、校内に石碑が立っています(写真1,2枚目)。校内は立ち入り禁止の為、石碑を正面から見ることはできませんでしたが、先人様が許可を取り写真を投稿されています。
中山の地は、渋谷重家の子の中山次郎重実が土着しており、重実との関係は不明ですが、陣屋から300m程南東にある正福寺には比企能員の娘を娶った中山五郎為重の供養塔があります(写真3~5枚目)。説明板によると圏央道川島ICの西にある堂地遺跡が中山氏の館跡としています(先人様が口コミを投稿)。比企氏の館跡は堂地遺跡よりも近い金剛寺となります。
2020年12月28日 拓之助弾正少弼
中山陣屋は明和4年、出羽国山形の転封を命ぜられた秋元凉朝が、飛び地として残された川島の地を管理すめために中山陣屋を作りました。
天保12年のとき、国替えがありこの地も河越藩領となり陣屋無くなりました。
現在は中山小学校が陣屋の跡でした。しかし小学校のため、遺構は認められません。小学校の敷地内に「中山営址」と「陣屋跡」を示す標柱もありますが、小学校のお奉行様に許可をとり恐る恐る大手を突破しないとなりません…









