武田信俊館
武田信俊館([高見城 周辺城郭])
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武田信俊館の口コミ情報
2024年03月22日 マグロ常陸介祐平
武田信玄の弟の川窪信実の子、信俊が、家康の関東入部の翌年(1591年)にこの地を賜り居館としたようです。
居館跡は武田(川窪)氏の菩提寺の輪禅寺となっていますが、本堂の裏には土塁が残り、虎口が開口しています。虎口は坂虎口となっており、現在も庫裏の裏門として使用されています。
大系に「現在館の遺構はまったく認められず椿の馬場という地名のみが館の存在を示す名残としてあるにすぎない」と記載され、館に関する明確な文書が見あたらないことが原因だと思いますが、一般的には遺構の残らないお城と認識されています。
1591年(天正19年)といえば、江戸開府の12年も前で、町割りもされておらず、大身の旗本が知行地に館を構えるのが一般的な時代です。曲輪として南北の広さが狭すぎるよな気がしますが、館の比定地に見られる土盛りを遺構と考えてもいいように思えるのですが・・
家康の関東入部時に知行地を与えられた旗本には、江戸に定住した後も知行地に墓所を持つもつ家が多く見られます。武田(川窪)氏歴代の墓所もこのお寺にあります。
2022年08月20日 つか征夷大将軍ぽ
遺構は有りませんが一族の菩提寺として建てた輪禅寺があります。
また、武田氏一族のお墓があります。
武田信俊(河窪信俊)は武田信玄の弟の武田信実(河窪信実) の子になります。
武田氏が滅亡後、徳川家康に信実の遺児として召され家臣になり、家康が関東に入るとこの地を与えられたらしいです。