水野石見守長勝館
水野石見守長勝館([高見城 周辺城郭])
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水野石見守長勝館の口コミ情報
2024年03月19日 マグロ常陸介祐平
旗本水野長勝の居館で、現在は水野家菩提寺の昌国寺となっています。
長勝の経歴は波乱万丈で、尾張緒川城四代忠政の兄、成政の子の成清と於大の方の姉於丈の方の子(つまり家康の従兄弟です)として生まれ、父が早世したことで母の再嫁先の松平(形原)家広に養育され、成長後に織田信長に仕えています。本能寺の変後に何故か北条氏政に仕え、鉢形城主北条氏邦に属し、北条氏滅亡後に家康よりここ赤浜と能増(小川町)に800石を賜り陣屋を置いています。鉢形城在勤だったと思われ、安堵に近い感じかも知れません。
陣屋は、東西がやや長い方形で、周囲を土塁と空堀で囲み、虎口付近は玉石垣の痕跡が残る枡形風の作り(写真3枚目)で、南東の隅は稲荷社が祀られており物見台のように高くなっています(写真1枚目)。
西側の墓地には、土塁に囲まれた歴代当主の墓が見られます。被葬者の一人一人に説明付きの標柱が立てられ、わかりやすくなっています。初代長勝夫妻と母の於丈の方、長勝嫡男貞正の墓は少し離れた場所にあり、妻の輪照院殿は、森蘭丸の姉との伝承があるようです(森可成の女と表現されていないのがいかにも伝承のよう)。
以前訪れた時は、木に囲まれた空間でしたが、木が伐採されて雰囲気がだいぶ変わっていました。
お寺の入口に、「水野十郎左衛門一族の墓」とありますが、幡随院長兵衛を殺害、切腹した旗本奴の水野成之とは同門別流です。
2022年03月27日 ジュニア越後守
現在は昌国寺(寄居町赤浜)で、四囲を土塁と堀が残っています。境内の桜🌸が今見頃です。矢印の方向には水野一族の墓所はありません境内西側墓地にあります。(2ヶ所)