鎌倉街道上ノ道跡・普済寺東
鎌倉街道上ノ道跡・普済寺東([高見城 遺構・復元物])
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鎌倉街道上ノ道跡・普済寺東の口コミ情報
2020年12月27日 長森原
高見城の東南、伊勢根に残る鎌倉街道上ノ道(上道、上ツ道)の遺構。
鎌倉時代から戦国時代まで多くの武将がこの鎌倉街道上ノ道を駆け抜けましたが、その内の1人に伊勢宗瑞(北条早雲)がいます。
長享の乱の只中の明応3年(1494)、扇ケ谷上杉定正と同盟していた伊勢宗瑞(北条早雲)は、関東管領・山内上杉顕定の居城・鉢形城を攻めるべく鎌倉街道上ノ道を北上し、高見城北の塚田の地に布陣しました。
しかしこの時は上杉定正が急死したため合戦は行われず伊勢宗瑞は高坂(東松山市)に兵を退き、岩槻や馬込(東京都大田区)を転戦した後、伊豆に撤退しています。
高見城下の高見原から塚田(現寄居町)にかけての地が、史料(足利政氏書状)で確認できる伊勢宗瑞の武蔵遠征の北限地となります。