錫杖寺
錫杖寺([平柳蔵人館 寺社・史跡])
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錫杖寺の口コミ情報
2021年07月11日 国府左京大夫城介
宇都宮城の城門が移築された将軍家所縁の寺
【歴史】
真言宗智山派・総本山智積院の末寺で、宝珠山地蔵院錫杖寺。
天平12年(740)、行基上人が光明皇后の病気平癒祈願のために、この地を訪れ、草庵が結ばれたことが始まりと伝わる。寛正元年(1460)に、法印宥鎭が堂宇を建立し、太田道灌が本堂を信施している。
江戸時代になると、徳川秀忠公の日光社参の途中に、錫杖寺を休憩所として定め、家光公は昼食をとり、家綱公は自身の病気平癒祈願を、吉宗公は鷹狩の際に立ち寄るなど、将軍家と所縁の深い寺となった。しかし、嘉永5年(1852)の川口町の大火によって、七堂伽藍は焼け落ちたが、家定公によって、品川御殿山の館を移し、再興している。
【遺構】
川口市元町に所在し、日光御成道(現国道122号(通称・岩槻街道))の側にある。
本堂は昭和50年(1975)に再建されたもの。
御成門は、明治41年(1908)に宇都宮城から移築したもので、戊辰戦争(宇都宮城の戦い)時の傷跡が残っている。
幕末の大奥を取り仕切った御年寄・瀧山の墓所がある。
【感想】
宇都宮城は戊辰戦争時に多くが焼失しており、錫杖寺の御成門は現存する数少ない遺構の一つです。戊辰戦争時の傷跡が残っているということもあり、これは是非見に行かなければと思い、訪れました。もっとがっつりと傷跡が残っているかと思いきや、一見しただけだと全く分かりません。しかし、よくよく見ると柱に刀傷跡や、銃弾跡(?)らしきものも残っています。
さて、この門が実際に宇都宮城の何処にあった門なのかは不明です。他の城郭でもよくある民間に払い下げされた際に、何処の門であったのか不明になってしまったのでしょう。その辺りが残念ですが、数少ない宇都宮城の遺構なので見る価値はあると思います。
【アクセス】
JR川口駅から徒歩13分。
埼玉高速鉄道・川口元郷駅から徒歩7分。
駐車場あり。
【写真】
1:錫杖寺正面
2:御成門(宇都宮城からの移築門)
3:刀傷跡
4:銃弾跡かな
5:本堂