藤浪陣屋
藤浪陣屋([赤山城 周辺城郭])
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藤浪陣屋の口コミ情報
2026年08月02日 マグロ常陸介祐平
戸塚城から南西に約250m、戸塚城主小宮山忠孝の家臣藤波和泉の館とされています。
新編武蔵風土記稿の立野村の項に陣屋蹟として、「何人の陣屋ありしことを詳にせず。相傳ふここは戸塚村に壘ありし頃、其家臣の住せし所なりと。されど其人の名さへ詳ならず。長蔵新田の民の傳へしは、古北条氏の家人藤波和泉なる者萱野奉行と云役を勤めて、此陣屋に住居し、北条氏没落の後、其のまま土着して農民となれり。其の後子孫の内、土屋氏の人を養ひて家を嗣がせしより土屋を氏とせりと云。今其子孫七郎右衛門と云。かれ陣屋蹟に住せば和泉が居蹟たること知るべしと云。されど七郎右衛門が家につきて見れば、和泉がことは総て口碑にも傳へず。思ふに此人、北条氏の家人なりといへど、當村の傳へに據れば、戸塚村の壘に住せし成田家の旗下小宮山弾正介忠孝が家人ともいへり。今其地の様を見るに、土居から堀の跡など所々にありて、地形高く北の方戸塚村を見おろし、實に一方の固たともなるべき所なり。」とあります。また、旧家者七郎右衛門として「世々里正にて土屋を氏とす。先祖は甲斐の武田に仕へたるものと云ひ傳ふれど、前の陣屋跡にも記すごとく、赤山領長蔵新田の傳へによれば、北条氏の家人藤波和泉が子孫なりしに、後年土屋氏の人を養子とせしより、今の氏に改めし由なり。家に古き鑓二筋、長刀一振、刀二腰、重藤の弓一張を蔵せり。」とあり、藤波氏が北条氏滅亡後に帰農して、後に武田氏の旧臣土屋氏の子孫を養子に迎え名主となり、江戸時代後期には子孫の名主宅にはまだ土塁や空堀が残っていたようです。また、隣村の長蔵新田の名主も藤波和泉の子孫とされ、先祖の長蔵が開いた土地ということで「長蔵新田」と名付けられています。こちらは藤波を名乗っており、立野の藤波氏が土屋氏から養子をもらう前に分家したものと思われます。
宅地化が進み、遺構らしきは確認出来ませんでした(写真1,2枚目)。説明板などもありませんが、登録城の平柳蔵人館の説明板に川口市内の中世の城館跡として「藤浪陣屋」の名称が見られます。
お城とは関係ありませんが、近くにある西福寺には元禄6年建立の三重塔が見られます(写真3~5枚目)。3代将軍家光の長女千代姫が奉建したもので、埼玉県でいちばん高い木造建築物です。









