鳩ヶ谷藩陣屋
鳩ヶ谷藩陣屋([赤山城 周辺城郭])
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鳩ヶ谷藩陣屋の口コミ情報
2026年04月25日 マグロ常陸介祐平
江戸時代初期に短期間存在したとされる、鳩ヶ谷藩の陣屋です。徳川家康が今川氏に人質になった際、遊び相手として同行した阿部正勝は、家康の関東入国の後に武蔵国足立郡鳩谷等に采地5000石を賜っています。慶長5年(1600年)に正勝が亡くなると子の正次が跡を継ぎます。関ヶ原の合戦前の会津征伐で正次は供奉し、家康と秀忠は鳩ヶ谷の氷川神社で休息をとったと伝わります。関ヶ原後に従五位下備中守に叙任されると相模国高座郡一宮において5000石を加増され、鳩谷を居所としています(寛政重修諸家譜)。この際に鳩ヶ谷藩は立藩したとされます。正次はその後も5000石、7000石と加増を重ね、元和3年(1617年)に8000石を加増され3万石になると上総国大多喜藩に移封となり、陣屋は廃されたと思われます。正次はその後も加増を重ね、最終的には8万6000石となっています。
Googleマップには法性寺の駐車場に「鳩ヶ谷藩陣屋跡」と位置登録されています。法性寺は東に鳩ヶ谷宿の台地、北側も台地となる場所で、中段にお寺は建っており、山門(倒壊の危険有)は室町時代の建築とされています。戦国の気風が残る家康の関東入国時(1590年)に築くにはお寺の山門下は相応しいとは思えない感じです。
徒歩5分程の川口市郷土資料館の方に陣屋について尋ねたところ、陣屋に関しては資料が全く残っていない為、鳩ヶ谷藩に関する展示も行っていないとの回答でした。伝承もないようです。
法性寺に関しては、鎌倉時代の御家人鳩谷氏の居館とする出典不明のネット情報があります。居館としての候補地は他にも、屋敷添遺跡があり、屋敷添遺跡からは井戸跡から鎌倉時代の武士が被ったであろう烏帽子が出土しています。烏帽子は資料館の目玉として展示されていますが、説明文に鳩谷氏の名前は見当たりません。こちらも理由は証拠がないからとのことでした。確かに法性寺も屋敷添遺跡も狭義では里村に含まれています。
鳩谷氏の居館とも鳩ヶ谷藩の陣屋ともされる法性寺ですが、風土記稿によると文明8年に太田道灌により創建され、永正17年に村山伯耆守行秀が寺領を寄付して中興大壇那になったとしています。また、行秀は扇谷定正の幕下で、足立郡戸田領を領したと伝わり、村山党に属した多摩郡箱根ヶ崎の村山土佐守の一族かもしれないとしています。境内には近年建てられた村山伯耆守の供養塔が見られます。









