鳩井氏館

鳩井氏館([加納城  周辺城郭])

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鳩井氏館の口コミ情報

2026年06月28日 マグロ常陸介祐平


風土記稿の栢間村の項に古城蹟として、「村の東の方小名沼尻にあり、 今田畑となりて昔の境界分ち難し。古くは鳩井将監と云者此所に住せしと云。村内正法院の熊野社に蔵する 永禄十三年の棟札に、大檀那鳩井殿息女鍋殿と載たれば、其頃までは鳩井が住せしこと明けし、及同郡笠原村に出せる康暦三年の文書、及前条に出せる応永六年の文書に、鳩井美濃三郎入道浄景申武蔵国埼西郡栢間郷内政所など云るを以て考れば、鳩井が当所に住すること、巳に古き事知るべし。又里人の伝に、鳩井家没落の後は成田が家人鴨田筑後と云者住せりと云。今、子孫村内に在て左次衛門と云り。」と書かれています。

鳩井(ハトガイ)氏は、川口市鳩ヶ谷を本貫とする鎌倉幕府の御家人鳩谷氏の後胤と考えられており、いつの頃からか本拠地をこの地に移したようです。室町期になると鎌倉公方の指示を受ける国人としての活動が見られ、永徳2年に足利氏満が武蔵国荏原郡世田(瀬田)郷及び足立郡芝郷大牧村の中条出羽入道の旧領を鳩井美濃三郎と高山左近将監に命じて鎌倉法泉寺に管理を委ねたといった文書が伝わっています。

また、風土記稿の笠原村の項に「ある書物に載っている文書に、鳩井美濃三郎義景が取得した土地の武蔵国笠原村樽井在家の田畠三町三段の土地に訴えがあり、康歴3年(1379年)に鬼窪殿に沙汰して調査したとと書かれており、これによればこの頃は栢間郷の内に鳩井氏の知行があったことが知られる。」としています。

戦国期になると忍城主成田氏に属したようで、上杉氏の関東幕注文に成田下総守同心の鳩井能登守の名が見られ、高野山清浄心院過去帳に載る「霊位長庵松久禅定門・武州崎西郡栢間郷鳩井能登守・元亀三年辛未正月七日」と名前が一致しています。天正10年の成田氏分限帳に載る鳩貝藤左衛門は近い親族でしょうか。

どのような理由で没落したのかは不明ですが、鳩井氏が没落した後は、成田氏の家臣の鴨田氏が古城趾に住んだとされます。鴨田氏は、川越市の鴨田が名字の地と思われますが、どのような経緯で館を任されたのでしょうか。

ネットでたどり着いた推定地は畑と民家で、遺構らしきは確認できませんでした。

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