野火止陣屋
野火止陣屋([滝の城 周辺城郭])
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野火止陣屋の口コミ情報
2025年12月20日 マグロ常陸介祐平
知恵伊豆として有名な川越藩主松平伊豆守信綱は、江戸の上水道である玉川上水を完成させた功績により、玉川上水から3割の分水許可を得て、領内に水を引く野火止用水を開削しました。信綱の孫で高崎藩主の輝貞は、先祖が開拓し菩提寺の平林寺があるこの地を飛地として知行することを許されて築かれたのが、野火止陣屋です。野火止用水は、小平市小川町から志木市の新河岸川まで約25kmに及びますが、陣屋近くは土地が僅かに低くなっているため、土を盛り上げその上に水を通す「陣屋堀築堤遺構」が築かれ、残っています。陣屋を守る城郭遺構ではありませんが、土塁状の構造物となっています(写真1~3枚目)。
陣屋の場所に関しては、全国文化財総覧と新座市の埋蔵文化財包蔵地(陣屋遺跡,種別は用水路と散布地になっており城館や陣屋にはなっていない)の地図とで、位置がズレているため正確なところは分かりませんでした。いずれにしても説明板に陣屋に関する記述がある、睡足軒よりも北側及び北東側(陣屋堀を含んだ場所)のようです。
睡足軒は、実業家で「日本の電力王」の異名を持つ松永安左エ門が所有していたもので、建物は飛騨高山にあった古民家を移築したものです(写真3,4枚目)。
睡足軒の向かい側に建つ平林寺(写真6枚目)は、松平信綱が寛文6年(1663年)に岩槻から移したもので、信綱をはじめ大河内松平一族の墓石群(写真7枚目)や武田信玄の娘で穴山梅雪の正室見性院の墓、なぜここにあるのかわからない増田長盛の墓(写真8枚目)があります。訪れたのは12月7日でしたが、紅葉が美しく大勢の人で賑わっていました。









