長浜氏館
長浜氏館([金窪城 周辺城郭])
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長浜氏館の口コミ情報
2026年07月06日 マグロ常陸介祐平
勅使河原氏館から南に約2.5km、同族の長浜氏の館です。丹党の秩父基房の子の新里恒房の子の三郎信光がこの地に居住し、長浜を名乗っています。南北朝期には一族の長浜六郎左衛門光経が新田義貞に従い、侍所として鎌倉攻略や全国各地を転戦し、建武4年(1337年)に新田義顕と共に越前金ヶ崎城で討死しています(太平記)。但し、風土記稿には、金窪城(登録城)に古くは新田義貞に従軍した長浜六郎左衛門が居城していたといわれていると書かれています(金窪村の項)。
余談ですが埼玉苗字辞典では、後奈良天皇の時代(1526~1557年)に群馬県吉井出身の富田氏が長浜城主になったとしています。神流川戦記に金久保に陣を取った富田左近の名が見られ、富田左近は横地左近と名を変え雉岡城主となり、後に井伊直政に仕え、彦根藩の家老になったとしています(本来横地氏の先祖は遠江の国人とされます)。面白い異説です。
お城のサイトの一部には、土塁や空堀が部分的に残っているとするものがあり、写真も掲載されていますが、探し方が悪いのか、遺構らしきは見当たりませんでした。立派な石碑が立ち、裏側には長浜氏の説明文が刻まれています。









