大類氏館

大類氏館([高坂氏館  周辺城郭])

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大類氏館の口コミ情報

2026年04月21日 マグロ常陸介祐平


児玉党の武士、秩父行綱の子の大類行義の館とされます。風土記稿によると、「大類氏は当国七党の一つである児玉党の人で、この辺には同じ児玉党の越生氏らが住んでいたと伝えられており、当村もおそらく大類行綱の一族などが土着した地で、在名をもって氏を名乗ったのであろう。とかく古い村であることは疑いない。すでに上野国群馬郡大類村も、昔、児玉党大類氏の居住した地である由を伝えている」としていますが、大類氏が大類の地に来て地名の大類を名乗るのは不自然なので、上野の大類氏の一族が住み着き氏が地名となったか、別系統の武士が在地名を名乗ったか、実は大類氏の名字の地がここなのか、よく分かりません。この地の大類氏に関しては、伝承以外に記録は残らないようです。小田原衆所領役帳によると大類は紫藤新六の所領となっていますが、紫藤氏の館に関しては伝承もないようです。紫藤氏の一族は、江戸期になると同じ毛呂山町の前久保村の神主になったようです。

館は大薬寺付近とされています(写真1.2枚目)。北側に鎮座する十社神社の前の畑にはL字形に浅い空堀の溝が見られますが(写真4.5枚目)、毛呂山町歴史民俗資料館の方は遺構ではないと仰っていました。お寺の前には板碑が並んでおり(写真2枚目)、南北朝期に有力者がいたように思われます。

館から600m程北は貞治2年(1363年)には、鎌倉公方足利基氏と宇都宮氏の家臣芳賀禅可が戦った苦林野古戦場があり、前記した十社神社(写真6枚目)は足利基氏軍として戦った岩松治部大輔の家臣金井新左衛門ら10人を祀ったものです。神社の裏には沢山の古墳がありますが(写真7枚目)、戦死者の墓という伝承があるようです。また、館跡に建つ大薬寺は、旅の僧に扮して諸国を巡る執権北条時頼がこの地で腹痛になった際にこの寺の薬師如来の霊験により回復し、時頼は喜でお堂を改修したという伝承があります。

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