赤沼藩陣屋
赤沼藩陣屋([高坂氏館 周辺城郭])
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赤沼藩陣屋の口コミ情報
2026年04月22日 マグロ常陸介祐平
後に岩村田藩主となる内藤氏の陣屋です。徳川家康に仕えた内藤忠政の4男の正次は、4代将軍家綱の傅役となり寛文4年(1664年)に赤沼村を含む比企郡に2500石の加増を加増され、養子の正勝が上野で1000石加増、さらに大阪定番になると1万石を加増されると赤沼村(寛政譜では赤松村と誤記)を居所としています。正友の代、元禄16年(1703年)になると知行地は信濃国佐久郡に集約され、岩村田藩として幕末まで続いています。また、正友は岩村田に移る前に常陸国高森に陣屋を構えたとする説も存在するようです。風土記稿には寛文4年に内藤式部少輔(正友)が赤沼村を賜り、宝永元年(1704年)に天領になったとしており、陣屋に関する記述はありません。
該当地であるおしゃもじ山は、埋蔵文化財包蔵地としては城跡とはなっておらず、奈良・平安期の遺跡となっており江戸期のものでも城跡にもなっていません。
立地的には、かなりの比高のある台地の先端部分で、戦国期のお城の立地条件には適合しますが(康正2年の板碑が出土)、寛文年間に陣屋を造成するには不自然に感じられました。要害の地ではありますが、遺構らしきは見当たりません(先人様が芳賀入道の陣及び山麓の四反田遺跡についても口コミされています)。
余談ですが、おしゃもじ山には相場師から衆議院議員となった西武鉄道の前身の武蔵野鉄道の初代社長平沼専蔵の彰徳碑が立っています。
2026年01月01日 東堤北星
赤沼陣屋は江戸時代初期にこの地を治めていた赤沼藩の陣屋とされています。また、南北朝期の苦林野合戦の際には芳賀入道が陣地を敷いたともされています。
赤沼藩は鳩山町赤沼の一帯に短期間存在した藩で、初代藩主の内藤正勝が加増を受けて大名となり成立しました。石高は1万6000石を有していましたが、所領は散在していたそうです。2代目藩主の内藤正友の時代、内藤家が有していた各所領は信濃国にまとめられ、岩村田藩に移封したそうです。そのため、歴代藩主が2名しかいない小規模かつ短命な藩となりました。この陣屋も存在した期間は短かったことが推測できます。
ちなみに、岩村田藩は岩村田陣屋を藩庁に構え、7代続いて明治維新を迎えています。
2025最後の夕日を見送った後の訪問でしたので詳しく見学はできませんでしたが、おしゃもじ山公園一帯が比定地とされています。私は見つけられませんでしたが、堀や土塁がのこっているようです。
おしゃもじ山公園には展望台があり、とても景色がいいです。
すぐ隣にも四反田遺跡という別の城郭があります。(四反田遺跡は室町時代の遺跡ですので、先述した芳賀入道の陣屋は四反田遺跡なのかもしれませんね)









