夜一山
夜一山([高坂氏館 周辺城郭])
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夜一山の口コミ情報
2026年08月03日 東堤北星
再訪
前回は前を通るだけで現地にいけなかったのですが、今回は訪問できました。
南北朝期の戦乱の際に設けられた新田義宗の陣城であると伝わっています。武蔵野合戦の一連の中で使われたとされています。義宗は南朝側として参戦しましたが、北朝が有利で段々と北側へ押されている状況でした。苦林付近の山(現在の夜一山)に再布陣し、この陣城を設けましたが、その日の夜に北朝側の部隊から夜襲を受けたため一夜で上州方へと撤退したそうです。(夜一山の名前の由来とされています。)その後現在の嵐山町との境界にある笛吹峠に再度布陣し笛吹峠の戦いへとなりました。(諸説あり)
『源威集』は「苦林ニテ合戦」と記載がありますのでこの記述が正しければその際に使われたと考えることができます。
短期間しか存在しなかった陣のため遺構などは期待していませんでしたが、やはりなにもありませんでした。跡地には七社神社という無格社が建っています。また、神社裏手には荒地のような草原があります。過去の写真などからここは使われなくなったテニスコートだと推察します。なお、この空き地は柵がたっており立ち入り禁止のような状況です。
山麓にはガソリンスタンドがありますが、このスタンドの小字に夜一山の文字があります。そのため夜一山と検索すると高確率でこのガソリンスタントがヒットします。
2025年12月31日 東堤北星
南北朝期、幕府と合戦をしていた新田義宗がこの地に布陣したとされています。その際幕府方の夜襲にあったことから「夜一山」と呼ばれるようになったそうです。
陣の一部はガソリンスタンドとなっていますが、ガソリンスタンド裏手の小山には七社神社が建っています。この七社神社は無格社であり、建立期などの歴史についてはよく分からない神社となっているそうです。この手の情報は『新編武蔵風土記』に書かれていることが多いのですが、それにすら記載はありませんでした。そのため、明治40年に秋葉神社に合祀されたことが文書における唯一の記録となっています。









