稲生氏陣屋

稲生氏陣屋([田波目城  周辺城郭])

田波目城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「稲生氏陣屋」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

稲生氏陣屋の口コミ情報

2026年03月24日 マグロ常陸介祐平


旗本稲生氏の陣屋です。稲生氏は藤原式家の末流とされ、平賀俊親の孫光定が尾張国春日井郡稲生村に住したことに始まります(桓武平氏三浦氏流の説もある)。光信の代に家康に仕え、子の光正が長篠の戦いなどで活躍して500石取りとなり、家康の関東入国により多和目村など3ヶ村を宛てがわれています。この際に陣屋は築かれたと思われます。光正の子の正信は大坂の陣に参陣し、後に小姓番や書院番を勤め下総に200石を加増され、亡くなると多和目城の中腹に正信庵が建立され、稲生氏の菩提寺となっています。その後稲生氏は1500石に加増され、分家も1500石と2000石と奉行を出す上級旗本として存続しています。稲生家には1970点もの文書が伝わり、令和5年には埼玉県の文化財に指定されています。

多和目天神社辺りが陣屋となりますが、遺構らしきは見当たりません。風土記稿に稲生某陣屋跡と記載があり、村の東にあり八段程の段差の地で四方に囲いめぐらし門は南向きに立ち、傍らにある天神社のあたりも陣屋跡と伝わり囲いは僅かに昔のすがたを残しているといった内容で、江戸時代後期には囲い(土塁?堀?)が残っていたようです。

多和目村は、お墓も残ることからメインの知行地のようですが、お隣(250m程西)に陣屋を構えた河村氏と相給で、それぞれ村内では180石でした。稲生氏が江戸に定住すると陣屋は廃されたようで、知行地の管理は地元の関田氏に任されています。

文化財になった文書は大戦中に正信庵(廃寺)に保管され今に伝わり、稲生氏代々のお墓も残るということで、令和2年の埼玉県立歴史と民族の博物館のコロナで中止となった武蔵国の旗本展を振り返る展示を見た後に多和目城周辺を探索するも見つからず、地元の方数名に尋ねるもご存知の方はいませんでした。今回は再探索して、ようやく地元の年配の女性から「お墓は見たことないが、稲生様と呼ばれる場所はお城の南東側の坂を登った民家の裏」と教えてもらい行ってみました。残念ながら道の突き当たりは民家となっており(奥に道がありそうだが車があって見えない)、近づくと人感式の電灯が点灯、残念ですが降参しました。この場所で合っていたのかは分からずじまいです。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore