川崎平右衛門陣屋

川崎平右衛門陣屋([田波目城  周辺城郭])

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川崎平右衛門陣屋の口コミ情報

2025年12月03日 河堤北星


川崎平右衛門定孝が新田開発の拠点として建てた陣屋です。
武州三角原陣屋という名称で呼ばれる事も多いです。

川崎定孝は元々農業従事者で、多くの開墾事業を成功させたり、私財を投じて窮民を救済したことなどとされ、農民から慕われていたそうです。

享保8年に将軍・徳川吉宗より新田開発令が出された際、武蔵野台一帯の農地は困窮しており、凶作も相まって潰れ百姓が多くいたそうです。そこで幕府は農民出身である川崎平右衛門を南北武蔵野新田世話役に任命し、農家の実情にあった新田開発を勧めたそうです。この陣屋はこの際に拠点として建てられたものです。定孝は後に代官にまで昇進しています。

その後、定孝は勘定吟味役兼諸国銀山奉行に任ぜられ、美濃へ任地替となりました。その際にこの陣屋の建物は取り払われたそうです。

建物が取り払われたあとも土塁や堀は昭和16年頃までは残存していました。しかし、日本農地開発営団の開墾が始まり、当時の遺構は姿を消してしまいました。現在は復元された土塁をみることができます。また、跡地には地域の百姓が川崎定孝の徳を追悼して建てられた祠があり、祠の正面には「川崎大明神」と刻まれていました。

南門前には陣屋に関する説明板も設置されています。

城郭基本情報
名称      川崎平右衛門陣屋
通称・別名   武州三角原陣屋
所在地     埼玉県鶴ヶ島市高倉
問い合わせ   鶴ヶ島市教育委員会
分類・構造   陣屋
築城主     川崎平右衛門
築城年     元文4年(1739)
主な城主    川崎定孝
廃城年     明和4年(1767)
遺構      堀、祠
指定文化財   鶴ヶ島市指定史跡
再建建造物   土塁、南門跡
跡地      史跡として整備
アクセス    川鶴団地バス停より徒歩20分
おすすめ度   ★★★☆☆
見学所要時間  10分
服装目安    軽め

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