浅羽城
浅羽城([田波目城 周辺城郭])
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浅羽城の口コミ情報
2025年06月22日 堤 北星
ニュータウンの中にある小さな城跡です。リア攻めマップ未記載でしたのでスポット登録や取材を兼ねて現地訪問してきました!ということでいつも通り3000城風に城紹介しますね〜
城郭基本情報
名称(よみ) 浅羽城(あさばのじょう)
通称・別名 萱方城、浅羽野城
所在地 埼玉県坂戸市鶴舞1丁目7ほか
問い合わせ 坂戸市教育委員会
分類・構造 平城
天守構造 なし
築城主 浅羽下総守
築城年 永禄3年(1560)?
主な城主 浅羽下総守
廃城年 天正18年(1590)
遺構 不明
指定文化財 なし
再建建造物 説明板、公園
アクセス 東武越生線一本松駅から徒歩15分
おすすめ度 ★★☆☆☆
見学所要時間 10分
服装目安 軽め
概要
浅羽城(あさばのじょう)は埼玉県坂戸市鶴舞にある日本の城跡である。別名、萱方城、浅羽野城。
かつて浅羽氏の拠点として機能していたとされる平城。現在は宅地開発されており、遺構は確認できないが、城のあったとされる場所は「城跡公園」「タイヤ公園」として整備されている。
城主である浅羽下総守の動向はよく分かっていないが、最終的には北条氏に属しており、豊臣秀吉の小田原征伐の際には小田原城に籠城し、その後称名寺で自害している。その際に浅羽城も廃城となっている。
感想
小田原征伐に関係のある城で、城跡公園を名乗る公園もあったので期待しましたが、特に遺構は見つけられませんでした。一帯は「鶴舞ニュータウン」として宅地開発されており、その中にある城跡公園やタイヤ公園は地域住民の憩いの場となっていました。(悍しい量のタイヤにはびっくりしましたが…(笑))
おまけとして、城と直接関係はないですが、タイヤ公園には最近はあまり見ない遊具もありましたので、人目が気にならないなら是非(笑)。
攻略情報
東武越生線の坂戸駅と一本松駅の中間あたりにあるので、駅からは少し歩きます。しかし、周辺案内に「城跡公園」が記載されている他、道順もわかりやすいのでリア攻めは難しくないでしょう。途中の大通りは交通量が多い割に歩道が狭いので注意してください。