青柳城
青柳城([館林城 周辺城郭])
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青柳城の口コミ情報
2025年05月03日 マグロ常陸介祐平
文治4年(1188年)に赤岩を本拠としていた佐貫広綱が築いたとされます。その後舞木氏の家臣赤井氏(佐貫広綱から代々居城した子孫とも)の城となり、赤井照光が大袋城に移るまで、赤井氏の本城だったようです。
お城の縄張りなどは不明で、埋蔵文化財包蔵地の範囲としては、東は旧国道122号線を境に、南は龍積寺の70m程先、西側南部は堀跡とされる青柳幹線排水路を境とし、西側北部は旧122号線の城域の境から400m程、北は長良神社の参道入り口から100mとかなり広い範囲となっています。1987年の発掘調査では、建築遺構や遺物(中世のカワラケが少々)は検出されず、土塁と思われていた土盛りも聞き取り調査で防空壕の排土とされています。また、2020年の龍積寺山門前の発掘調査では、中世のものは溝一条と内耳土器片1点のみの結果だったようです。
ハッキリした遺構は確認出来ませんが、龍積寺の北側から西側にかけて堀跡とされる排水路に面した高台になっていて城郭的な要素を感じます。また、境内には塚も見られます。
青柳の地は、井伊谷三人衆の近藤康用の子の秀用が慶長7年(1602年)に2代将軍秀忠に5千石で召し出された際に与えられた場所で、後に相模で1万石を加増され、青柳藩が立藩しています。元和7年(1621年)に2千石を加増され、故郷の井伊谷に移封するまで僅か19年ですが、近藤氏の陣屋もこの周辺にあったはずではありますが、狭い青柳地区での発掘調査でも近世のものは出ていないようなので青柳城を利用したものではなかったようです。