新田荘寺尾城

新田荘寺尾城([新田金山城  周辺城郭])

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新田荘寺尾城の口コミ情報

2025年07月28日 マグロ常陸介祐平


新田氏の初代、新田義重のお城とされます。源頼朝の挙兵の際、甥の足利義兼や子の山名義範、孫の里見義成は頼朝の元に参陣しますが、義重は源氏の棟梁を自認していた事や新田荘が平家方の荘園であること、木曾義仲と敵対していたこともあり、単独で寺尾城に引き籠もり兵を集めます。結果としては、源平合戦で活躍することもなく、新田氏は足利氏に差をつけられることになります。

平安時代から鎌倉時代初期の館ということもあり、立派な石碑は建っていますが推定地ですので、遺構は残っていません。状況としては、200m程西には国指定史跡の「上野国新田郡庁(郡家)跡」があり、石碑の裏側には、新田氏ゆかりのお寺とされる大光院(寺井廃寺?)の礎石とされる石が展示されています(大光院は、義重の子孫を自認する徳川家康により、新田金山城の麓に再建され、義重公の供養塔もあります)。現在の地名は寺尾ではなく寺井ですが、すぐ東にある聖王寺の山号は寺尾山となっています。

寺尾城には他にも候補地があります。高崎市にある寺尾城(茶臼山城・寺尾中城)も有力な候補地で、近くには義重の系統の山名氏や里見氏の発祥地もあり、南北朝期には、新田一族が尹良親王を新田義重の住んでいた寺尾城に招き入れたとされています。また、江戸時代に編纂された上野国志にも、茶臼城は代々新田氏が拠るとしています。

大正時代には、どちらが義重の寺尾城かということで論争があったようですが、新田氏初代の義重が、新田荘が本拠でないというは違和感を感じるため、個人的には義重の寺尾城はこちらのような気がします。また、世良田にある新田館も義重の館との伝承があり、世良田地区も候補地のようですが、「寺尾」の名称との関連性は希薄なように感じられます。

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