矢田堀城
矢田堀城([新田金山城 周辺城郭])
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矢田堀城の口コミ情報
2025年03月23日 マグロ常陸介祐平
この地は伊勢神宮の広大な御厨の一部で、御厨司として秀郷流の薗田氏が務めていました。 薗田成家は、正治2年(1200年)に京都大番役として上洛の際に法然に帰依し、帰国後に小倉(現桐生市川内町)に庵を結び浄土宗を布教したと伝わります。城域には鎌倉時代後期から室町時代初期の名号角塔婆が見られますが、薗田氏が建てた供養塔とされています。
お城の築城時期は不明ですが、横瀬国経(由良国繁の曽祖父)の次男泉基繁(説明板では基茂)や弟の基国、基繁の子の繁俊などが城主を務めたようです。また、薗田氏も消滅した訳ではないようで、上杉氏の関東幕注文には桐生衆の園田氏の他、新田衆として小山一姓(秀郷流)園田新七郎の名が見られます。
説明板には金山城の出城としていますが、見た目には典型的な方形の居館のような感じです。部分的ではありますが150m四方に土塁が囲み、南側は二重となっています。二重土塁の間の堀は道路となり埋まっていますが、埋まっていなければ堀底から土塁までの高さは4~6m程あったのではないかと思われます。