綿打入道太郎為氏館
綿打入道太郎為氏館([久永氏陣屋 周辺城郭])
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綿打入道太郎為氏館の口コミ情報
2025年11月02日 マグロ常陸介祐平
新田政義の子の大舘家氏の子、綿打為氏の館です。為氏は、元弘3年(1333年)新田義貞に従い延元5年(1338年)に義貞が討死すると、北畠顕家に従い、摂津堺浦で顕家と共に討死しています。また、為氏の子の氏義と孫の氏忠も越前金ヶ崎城落城の際に、新田義顕と共に討死したとされています。
ぼたん寺として知られる大慶寺が館址となります。石碑は赤い山門脇の自販機の向かいにあります。お寺の北西部にある、ぼたん園の北側と西側に土塁の痕跡と思われる土盛りがあり、北側の通路は、堀跡のようにも感じられます。
ぼたん園の北の墓地には、綿打為氏の墓(子孫の長山氏による再建)があり、石碑には、氏義の子の氏忠は足利氏の後難を恐れ名を長山と変え、桐生の山中に身を隠して先祖の供養をし、戦国期になると新田金山城主由良氏に仕えたとしています。天正12年(1584年)に金山城が北条氏に攻められた際は、長山惣左衛門尉朝之は敵の大将中條出羽守を討ち、功名をあげたとしています。為氏のお墓の周りには、長山氏のお墓が並びます。









