嵩山城
嵩山城([横尾八幡城 周辺城郭])
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嵩山城の口コミ情報
2021年05月30日 真田上野介信吉
『嵩山城の山城本丸跡』
『実城の平』は城の中心の意。『本丸』を『実城』と呼ぶ。無常の平ともいう。
永禄8(1565)年11月、武田信玄方の『真田幸隆』に攻められ嵩山城は陥落。若き城主、城虎丸(当時:18歳)は山から飛び降り自ら命を絶ち、女性や子供も後を追ったという悲話が伝わる。
この戦いの犠牲者の供養と霊山嵩山への信仰のため元禄15(1702)年から坂東・西国・秩父の嵩山百番観音が建立された。
ー主郭設置の説明板よりー
5月15日以来2度目のリア攻め。前回は五号目までを口コミしましたが、今回は城郭として機能した主郭周辺について。
2度目はもう一つの登山道である東登山道からアタック。こちらは、より要害性が高く、手を加える必要のない程の険しさ。ただ整備された登山道ですから、普通に主郭まで辿り着きます。
東登山道を登り切ると平場となり四阿が設置されています。左折し主郭を目指します。主郭には説明板の通り、主郭の縁を囲むように石仏が安置されています。
主郭から中天狗方面の途中北側に腰郭と想定される削平地、また嵩山城期は堀切として利用されたと思われる地形も。他、小さな削平地は武者溜まりを想定。
小天狗手前は表登山道(大手)からの平場で、ここも郭として機能していたのではないかと想定します。
嵩山城は戦国時代の一部に過ぎず、古くから信仰の山であったことが色濃く残る為、遺構を期待して登るということは考えない方がよいでしょう。
往時に想いを馳せながら、展望台からの眺望をお楽しみください。
2021年05月15日 真田上野介信吉
『霊山と山城で知られる嵩山』
嵩山は、中之条盆地の北方の台地にあって、見付山とも呼ばれ、町を象徴する山です。
古代から祖先の霊魂を祀る山を『たけやま』と呼びます。中之条盆地の各地から霊山として信仰を集めていました。
戦国時代に吾妻地方の領主吾妻太郎斉藤越前守が武田方の真田幸隆に攻められて没落し、その子城虎丸を擁した吾妻衆が、上杉謙信の支援を受けて嵩山にたて籠り、戦いの末、落城しました。
ー道の駅『霊山たけやま』案内板よりー
また、一の木戸(大手門)説明板には、永禄8(1565)年、11月11日~17日上杉謙信方の嵩山城主『城虎丸(じょうこまる:当時18歳)』と兄の斉藤憲宗が武田信玄方の『真田幸隆』と戦い大激戦(死者350人)の末、城に火をつけられ落城したと言われる。
その武山(嶽山)合戦の激戦地。と、あります。
群馬県吾妻郡中之条町五反田にある道の駅『霊山たけやま』の背後に聳える岩山が嵩山城。岩櫃城からは約6キロに位置します。道の駅には、表登山道と東登山道2コースの案内板がありますから、何れかを選択してください。
※スポットは、横尾八幡城周辺城郭表登山道『一の木戸(大手門)』に設定。
此度のリア攻めは、表登山道より五合目までで引き返した為(自己都合)、紹介出来るのは一部に過ぎません。
この表登山道にあるのが一の木戸。嵩山城の大手門にあたります。一の木戸を過ぎると大岩があり『一番』の木札。ここには石仏と祠などが祀られています。
表登山道はつづら折りの登山道で、所々は階段状になっており、重装備する程ではない印象。よく整備されています。
五合目までは段郭と自然地形が竪堀状になっている状況が見られます。
写真の石積みは戦国期のものか、それとも以降のものか、ハッキリ分かりませんがご参考までに。
アクセスは、国道353号から県道53号へ。道の駅『霊山たけやま』です。
しっかりと整備が行き届いた道の駅なので、駐車場はもちろんのこと、子供の遊び場も併設されており、家族連れで訪れても困ることは一切ありません。