旧白井宿 土蔵造りの家並み
旧白井宿 土蔵造りの家並み([白井城 寺社・史跡])
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旧白井宿 土蔵造りの家並みの口コミ情報
2025年12月27日 HAL2000壱岐守
国道17号、群馬県の渋川と沼田の間にある道の駅こもち白井宿ふるさと物産館から一本内側の旧街道に沿って、現存し、また街並みを復元している。そんなに賑々しい場所ではないですが、古民家カフェなどもあり、少し立ち寄って楽しむことができる場所です。次の文章は、街角の看板にあった、市による説明文です。
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特色ある町並み ー土蔵造りの家並みー
町の起源は室町時代、白井城の城下町である。沼田へ四里八丁、中之条へ五里、前橋へ四里八丁、渋川へ二里と交通の要衝の利点を活かした市場町への更生は、もっとも当を得た生き残り策といえよう。取り扱われた品名は、馬草・薪・材木をはじめ、麻・繭糸・木綿・真綿・煙草・塩・茶・水油・米麦・豆のほか、ひな市など時季のものと多度にわたり、その商圏は三郡二十四ヶ村に及んでいたという。
元禄十三(一七〇〇)年時点で酒造りが五軒あった。主に露店商であるが、経済の発達とともに大通りに面して家並みが構成され、他村では宿と呼ぶ者もいたほど賑わったが、三度に、
わたる(江戸中期・文久ニ・明治三一)大火で家並の大半が焼失し、武者返しの遺構もほとんどなくなってしまった。
いまの街並みの中で、土蔵造りの家並みが残っているのは豊嶋屋と薬種屋の二軒である。豊嶋屋は江戸時代で通しての豪商で、二十四文の私鋳銭を適用させていた。酒造・質屋も営み、幕末時には生糸で横浜賀易にも参画している。また打ちこわしにも遭い、梲付き長屋門(延享二、一七四五頃建造)も傷められ、その傷跡が今も残っている。天保八(一八三七)年建造の三階建土蔵は現存し、薬植屋の土蔵も豊鳩屋の
長屋門と同じ頃のものと思われ、市の日には土蔵の下屋の真中の戸を開けて補気竜勢円などの家伝薬を販売した。渋川市









