見立城(不動山城)
見立城(不動山城)([白井城 周辺城郭])
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見立城(不動山城)の口コミ情報
2023年10月08日 見城
上州の吾妻川と利根川の合流点である白井の地域は、西は信濃国、北は越後国、南は武蔵国へ向かう交通の要所。白井領は、北から南に寄居があり、勝保沢、見立、三原田、八崎、真壁、箱田にありました。
鎌倉時代に里見氏義という武将が不動明王の石像尊像を赤城町宮田の洞窟に安置した聖なる山が不動山と呼ばれたことから、戦国時代にその尾根上に築かれた見立城は、不動山城と呼ばれるようになったとのこと。
現在は竹林が深く、折れた竹が登城を阻むものの、登城路は分かり易くなっています。ただ本郭のある平地や本丸への登り口は細く狭いため、先人の方のアドバイスの通り、草や枝等で足を滑らせ滑落しないよう十分注意が必要です。
・本郭 腰郭から
・草木が繁茂する本郭
・本郭南の腰郭
・本郭の切岸と腰郭
・腰郭西の断崖を見下ろす
・本郭から西の白井城側、眼下は蛇行する利根川の流れ
2021年03月27日 真田上野介信吉
築城年代は不明であるが、古文書に上杉謙信が築城したと伝えている。事実とすれば天文・弘治(1550ごろ)の頃といえる。
天正8年(1580)、真田氏が中原に馬を進めようとして幕下の将海野幸貞が攻めあぐんだことが古記録に見える。
天正18年(1590)、上杉景勝、前田利家の攻略により、主城白井城と共に落城した。
ー文化財関係資料集(赤城村教育委員会)よりー
見立城(不動山城)は、長く利根川の方向に突き出した尾根に数条の空堀を基本として築かれた並郭式山城格崖端城です。
勝保沢城とは約1キロの距離にあります。
写真にあるポッカリと口を開けている場所が大手になります。ここに車を停めて突入。竹藪全開です。
土橋状の道を登って行く所々に、3郭や2郭、腰郭などがありますが、激藪過ぎるので写真では伝わり難いと思います。
一部堀や切岸はハッキリと見られますが、藪に突入するのは勇気が必要かと。
視界が開けると、そこは主郭の腰郭。進入開始から5分程度でしょう。見下ろす景色はかなりの高さまで登っているのだと思わされますが、大手口そのものがかなりの高さにあることも事実です。
主郭も激藪で、一部展望出来る程度と思ってください。
アクセスは、勝保沢城(赤城歴史資料館)から向かうのが分かり易く、県道151号を右折し関越道を跨ぎ細道を左折、刀川小学校の正門前を通過します。何れにせよナビやマップが頼りとなりましょう。
白井城と共に白井城団セット(勝保沢城→見立城→白井城の順が理想的)でのリア攻めがオススメです。
2019年05月07日 牢屋見廻り同心マダオ
白井城の支城の一つで、地衆見立氏によって築城。天正八年には真田氏、天正十八年には小田原攻めの上杉・前田氏によって落城、後に廃城となりました。
登城口は追手口と搦手口の2ヶ所から入れますが、追手口(旧刀川小学校側)からの登城は竹藪に阻まれ困難です。追手口と搦手口付近に説明板あり。
危険な場所もありますので、リア攻めされる方は気を付けてください。