山子田城
山子田城([箕輪城 周辺城郭])
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山子田城の口コミ情報
2026年08月27日 マグロ常陸介祐平
現地の榛東村教育委員会が設置した説明板には、鎌倉時代から南北朝時代に桃井郷をを領地として活躍した足利系源氏の桃井氏の本拠地であったと推定されるとしていますが、日本城郭大系では和田義盛と共に滅んだ土屋義清の館で後に桃井氏がいたとしています。また、説明板によると主郭・土塁・堀などの遺構は、戦国時代以降に形成され、桃井地衆により保有されていたものと考えられているようです。
1km程東にある桃井城(桃井東城)から1km程離れていますが、別城一郭とされ、こちらの説明板も名称は「桃井城跡」としており、カッコして「桃井西城・山子田城」となっています。桃井東城は、桃井氏でも頼氏の子の頼直に始まる小二郎系の桃井直常の城とされますが、戦国期の山子田城の城主とされる桃井地衆の湯浅氏の祖の河内守貞職は、頼氏の子の胤氏から始まる別系統の三郎系桃井氏の尚義(新田義貞に従い鎌倉で討死)の孫とされ、別城一郭とするのは無理があるように思われます。近隣の箕輪城が武田氏の城となると、湯浅氏は箕輪城主となった武田氏の家臣内藤氏に従っています。
説明板や石碑は城域の南側西隅の虎口のあった場所に設置され、御堀の稲荷神社が祀られています。明確な遺構は残っていませんが、南北に高い土地となっており、土塁跡のようです。また、南東側に櫓台の盛土が残っているようですが、分かりませんでした。城域には「御堀の五輪塔」と呼ばれる五輪塔があり、お城と関係するものと思われますが、無銘なのでなんとも言えません。
説明板から南に100m程には地蔵堂があり、周囲は城主とされる湯浅氏の子孫の墓所となっています。堂内には、応永5年(1398年)の銘がある板碑が安置されています。









