若田ガ原の古戦場
若田ガ原の古戦場([箕輪城 碑・説明板])
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若田ガ原の古戦場の口コミ情報
2022年04月16日 ️_
若田ガ原古戦場は上州進出を目論む武田勢と業政亡き後の長野勢が激突⚔した舞台です ここを突破されれば下り坂が続くため、長野勢が決算の地に選んだのも頷けます…が、衆寡敵せず、長野勢は箕輪に追い込まれてしまいます🥺
周辺は霊園🪦や浄水場🚰になってしまっていますが、箕輪方面から来ると台地状の地形を実感でき、当地が防衛ラインであったことがわかります😚
〜以下、若田ガ原古戦場解説板より〜
若田ガ原の古戦場
若田原台地は、碓氷川と鳥川に挟まれ、 川間ヶ原とも言われる戦略の要地でした。
兼ねてから上野侵攻を画策していた武田信玄は、長野業政が死去すると侵攻を再開し、碓氷川の鷹ノ巣の崖から攻めたところ、小幡勢が繰り出し挟み打ちになり、やむなく安中まで引き上げました。
しかし、作戦を変更し余地峠(南牧村)から小幡へ入った武田勢は、西上州の諸将に戦陣に加わるよう促し、若田原に上り、箕輪勢との決戦に臨みました。
永禄9年(1566年)9月25日の朝、事実上の箕輪城攻防戦である若田原の戦いが始まりました。
鼻高に陣を構えた武田勢は数万とも言われ、長野勢は1500余、多勢に無勢で長野勢が総崩れとなりました。
その後は箕輪城での籠城戦になり、抵抗むなしく武田勢の総攻撃により城は焼け落ち、武田軍の支配することとなります。