下室田の松山城

下室田の松山城([里見城  周辺城郭])

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下室田の松山城の口コミ情報

2022年04月16日 国府左京大夫城介


西上州に進出した北条氏の対真田氏への拠点

【歴史】
天正10年(1582)に、北条氏直が上田朝直の子・長則に命じて築城した。上田氏の本城である武蔵松山城に因んで名づけられた。その後、天正18年(1590)の小田原征伐において、上杉・前田連合軍の前に無血開城し、そのまま廃城となった。

(注)説明版では、「上田安礫斎信義の嫡子、上田上野介信善に命じた」と書かれていますが、各種資料を勘案して、上田信義=上田朝直、信善=長則(上野介と記載されており、長則は能登守なので、弟の憲定の可能性もあり。憲定が家督を継ぐのは長則が亡くなった翌年の天正11年なのでおそらく長則だと思っています)と解釈しています。

【遺構】
里見城の北西4.1kmに位置する比高40mに築かれた山城で、現在は金毘羅神社や墓地となっている。金毘羅神社が主郭にあたり、主郭を中心に腰曲輪が段々に連なっている。また、主郭北側には竪堀が、南東側の腰曲輪を貫くように堀切が施されている。

【感想】
武蔵松山城主である上田氏が築いた城ではあるが、武蔵松山城ほどの規模はなく、あくまでも街道を監視するための城であったように思えます。拠点城郭にするのであれば、ここから北に1km程行けば、鷹留城があるので、そこを再利用すればいいが、鷹留城が奥にあり過ぎるので、街道に近いこの場所に新たにお城を築いたものだと思います。

対真田を念頭に築かれており、箕輪城から榛名山南側のルートを利用して、手子丸城や岩櫃城を狙うための、中継的な城郭だったのではないでしょうか。そのため、上田長則らが実際に城に入ることはなく、その家臣が実際の城主の可能性が高いと思います。


【アクセス】
群馬八幡駅からレンタサイクルで、約40~50分。群馬八幡駅からバス(ぐるりん榛名線)で、榛名支所前で下車し、徒歩5分。(1日6便)

【写真】
1:登城口
2:説明版
3:段曲輪1
4:段曲輪2
5:主郭と堀切
6:金毘羅神社
7:二重竪堀
8:竪堀

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