山名館

山名館([山名城  周辺城郭])

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山名館の口コミ情報

2026年06月04日 マグロ常陸介祐平


室町時代に12ヶ国の守護となり、六分の一と呼ばれるまでになった初期山名氏の居館で、現在は光台寺となっています。山門脇には全国山名氏一族会の設置した説明板が建っています。わかりやすいので全文を紹介します。

清和源氏、新田義重の子義範は、この地山名郷を父より本貫地として与えられ、家号を山名義範と改め、此処に居を構えた。
現在の此処光臺寺境内は山名館であった。初め義範は頼朝の御家人として平家追討の搦手大将軍源義経に従い、一の谷の合戦(寿永三年・1184年)に奮戦し、その武勲により、清和源氏受領六人の筆頭として伊豆守に任命されている。
次の義節より重国・重村・義長・義俊・政氏・時氏と八代にわたり居住していたが、時氏のとき、後醍醐天皇による、鎌倉幕府倒幕の勅命を受けた足利尊氏に従い 京都六波羅攻撃の為、この地より西国へ向かった。その後、建武の親政と南北朝の動乱に於いて時氏の活躍目覚しく、五ヶ国の守護大名となった。四男氏清の時、 十二ヶ国の大守護となり、日本全国の六分の一が領国であったので、六分の一殿と呼ばれるにいたった。その後、明徳の乱(明徳二年・1391年)に於いて時氏の孫、時熙が活躍して室町幕府の重鎖となった。応仁の乱(応仁元年・1467年)では、時熙の嫡子・ 山名宗全が西軍の総大将として天下に、その名を轟かせ、歴史を動かした。かくて、山名氏は日本全国から啓仰されたのである。
やがて時代は戦国時代へと移り、歴代山名氏もこの戦乱を生き抜いて行くのであるが、山名氏宗家として、再び故地に戻る事なく現在に至っている。

山名城がある台地から東に下った最も低くなった場所に位置しています。要害性のある立地ではありませんが、目の前に通る道は鎌倉街道上ノ道で、交通の要衝に築かれています。館跡としての明確な遺構は確認できませんが、山門前には水路が見られ堀の名残りかもしれません。光台寺は時宗のお寺で、永享9年(1437年)の線刻地蔵菩薩立像石仏が見られます。

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