寺尾茶臼山城
寺尾茶臼山城([山名城 周辺城郭])
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寺尾茶臼山城の口コミ情報
2026年06月05日 マグロ常陸介祐平
新田氏の初代で、里見氏、山名氏、徳川氏の祖となる源(新田)義重が鎌倉時代に居城したとされます。義重の墓は徳川東照宮の裏や新田金山城の麓の大光院が知られていますが、このお城の北に建つ永福寺にも存在します。南北朝時代になると新田義貞の弟の脇屋義助が城主になったとされます。また、室町時代の正長年中に和田小太郎が築城したともされ、戦国時代になると甲陽軍鑑に武田氏がこのお城と山名城の間に根小屋城を築いたと記されています。
先人様の口コミ通り、駐車場もありお城は地元の方により整備され、大変見やすくなっています。駐車場の脇から登ると(写真1枚目)、すぐに削平のあまい南郭に到達、大堀切(写真2枚目)に仕切られて北側が本郭となります。本郭の東側に虎口(写真7枚目)が付き、南側から西側にかけて土塁(写真8枚目)が見られます。本郭は西側を除き空堀が囲み(写真3枚目)、堀底に井戸があります(写真4枚目)。北側の土塁は武者走と表現され(写真5枚目)?先端部は矢倉台とされています。また、東側は数段の腰郭(写真6枚目)となる縄張りとなっています。
小さなお城ですが、保存状態は良好で見応えがありました。
2022年11月29日 ᴿᴱᴰ副将軍
県営団地横の駐車場から徒歩3分で辿り着く本格山城🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細は不詳。
鎌倉時代に源義家の孫である新田義重の居城であったとも、1397年に南朝の皇族である尹良親王が寺尾城に籠もったときの砦の一つとも、南北朝時代には新田義貞の弟である脇屋義助が城主であったとも、正長年間(1428年〜1429年)に和田小太郎が築いたとも、戦国時代には周辺の根小屋城と同じ様に武田信玄により改修されたとも云われますが定かではありません。
見所
主郭と南郭は深さ8mの深い堀切で区切られ、主郭は土塁が巡り、北から東にかけては空堀が巡ります。
主郭北東部には虎口が開口。土橋が架かり馬出し状の郭に繋がっています。
切岸も中々の鋭さで、コンパクトながらも住宅地の中とは思えない技巧的な縄張りです。
開発により南側と東側は削られてしまっています😢
行き方は、城域南麓の県営城山団地を目指して下さい。専用駐車場が2台分あり城域まで階段が続いています。急斜面ですが比高は30m程で、ものの3分で南郭に辿り着くというお手軽物件です。
11月の16時過ぎからでも十分に登城可能な本格山城でした😆
2020年08月17日 龍馬備中守【兵馬不動】
群馬県の高崎市にある寺尾茶臼山城♪現在は住宅地の中にヒッソリと残ります♪
鎌倉時代は新田義重の居城で南北朝時代には新田義貞の弟、脇屋義助の居城であったと伝わります♪戦国時代には武田信玄が改修したという説もあります☆
南北朝時代の城と戦国期の城は見た目、縄張りで明らかに違くて此処は間違いなく戦国期に使用された様な縄張り遺構を残します♪
甲斐の武田信玄はこの辺りにまで勢力を拡げようと侵攻しています☆10キロ圏内に根古屋城と言う武田信玄の家臣を置いた本格的な城も見えます♪(落しに行く気満々な♪)
根古屋城との連携を図る為と考えるとやっぱ武田信玄♪と思える城郭でした♪









