和田下之城
和田下之城([倉賀野城 周辺城郭])
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和田下之城の口コミ情報
2026年07月12日 マグロ常陸介祐平
和田城の支城となります。和田城は、高崎城の前身の和田氏の城で、和田城(上之城)に対して下之城と名付けられたようです。支城とはいえ主郭の周りを幾つもの郭が囲む四方向連郭式の規模のあるお城で、城下町も形成されていたようです。
日本城郭大系に残っていた高さ2.5mの土居が近年崩されたと書かれているので、昭和50年代以前には遺構はほぼ消滅していたようです。本丸跡は「下之城児童公園」となっており、石碑と説明板が設置されています(写真1,3,5枚目)。また、僅かですが石碑の裏のお宅には土塁状の土盛りが見られ(写真2枚目)、小さな水路は堀跡のようです(写真4枚目)。以下は石碑の裏面のお城の説明となります。
「和田城主和田業繁(吉景)は出城として下之城を築き、弟信景(正盛)を置いたが、永禄六年(一五六三)兄弟とも武田信玄に属した。同十二年信玄は北條氏に備えて倉賀野領の一部を信景に与え城を強化させた(奈良梨鈴木文書) 。天正十年(一五八二)武田氏滅亡後正盛は隠居し、その子左衛門尉正直がついで北條氏に従い、天正十八年北條氏滅亡と同時にこの城も廃された。城東の字松村は堀をめぐらした初期城下町(根小屋)で如意寺・徳昌寺が並び、徳昌寺には城主信景以下の墓がある。
城址内堀改修を期に下之城の町名の由来を後世に伝える為 町民二百有余名建之 昭和六十年三月吉日」
和田下之城の根小屋に建つ徳昌寺は下之城和田氏の菩提寺で、歴代の墓が並んでいます(写真6枚目)。宝篋印塔と五輪塔の部材がバラバラに積まれているように見えますが、中世のものが多い印象です。また、城郭の遺構かどうかは分かりませんが、お寺周辺には空堀状の溝や土塁状の土盛りも見られ(写真7,8枚目)、総構えのお城の一部の様な雰囲気が感じられました。









