石垣水路と石樋の一部(移築)
石垣水路と石樋の一部(移築)([高崎城 遺構・復元物])
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石垣水路と石樋の一部(移築)の口コミ情報
2022年02月25日 まー刑部卿
以前発掘調査で見つかった水路を移築復元したもの。二の丸堀と本丸堀を繋ぐ水路の役割をしていて二の丸堀の水位が上がるとこの水路を使って本丸堀に流れていく水位の調整の役割を果たしていた水路といわれています。
井伊直政が1598年に高崎城を築いた頃に作られたと発掘された遺物から考えられる。
その後、使用されていくにつれ埋まり天明三年浅間大噴火によりほぼ完全に埋まり奥に見える樋を使われた水路に変わっていく変遷が確認されているそうです。
高崎城は御城御土居通御植物木尺附絵図(かみつけの里博物館蔵)を見てみるといろいろなところに石垣が使われていることが確認出来ますが現在石垣を見ることが出来るのはここの水路のみ(発掘調査で見つかった石垣は地中保存されている)。乾櫓に使われている石垣は昭和の移築復元した時に作られた石垣です。