小栗上野介屋敷

小栗上野介屋敷([坂本城  周辺城郭])

坂本城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「小栗上野介屋敷」の地図・口コミがご覧頂けます。

「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。

小栗上野介屋敷の口コミ情報

2021年06月08日 真田上野介信吉


『観音山小栗邸跡』
小栗上野介忠順は、江戸幕府の要職を免ぜられ、慶応4(1868)年3月1日、家族、家臣とともに権田村に隠棲した。当初は東善寺を仮住居とし、ここに住宅の建設を始めた。宅地の造成、用水路、田畑の開発を行い、そして3棟の住宅建築にかかり50余日で、間口12間、奥行き7間半総2階の主屋1棟が上棟のはこびとなった。小栗日記によるとこれは4月28日のことである。
ところが、翌29日から事態が急変し、江戸城総攻撃のため薩長の東山道軍が高崎を通過の際、小栗に謀反の意志ありとして配下を差し向け、ついに翌月閏4月5日高崎・安中・吉井の3藩に命じて小栗を捕らえ、一言の取り調べもなく翌6日(太陽暦では5月27日)烏川の水沼川原で家来3人と共に斬首した。
完成を見なかった小栗の邸は、現在前橋市総社町の都丸家の住宅となって現存している。
邸跡には礎石など残り、水路は今も利用されている。

ー説明板(旧倉渕村教育委員会)よりー

群馬県高崎市(旧倉渕村)にある小栗上野介屋敷跡。ネットの情報等、また実際にリア攻めしてみて、これは城郭であると思い、スポット設定に際し周辺城郭を選択しました。
国道406号沿いに『小栗上野介屋敷跡』の標柱がありますから見落とさないようにしましょう。標柱からは、数分間2㍍幅の極狭の道に耐えてください。開けたところに駐車場が待っています。

何故城郭と感じるのか?
駐車場の裏は『馬場跡』の案内。これを進むと武者溜まりであるかのような広い空間。馬場は30㍍X30㍍で仕切りの土塁。また馬場の東側は観音山用水となっていますが、これはどう見ても堀。この用水路の起源を辿るべく北上すると、要害性の高い地形、急斜面が形成されていました。
邸跡は2段下の区画で、パッと見は何処なのか全く分かりません(※案内板は設置してあります)。基本的には敷地全体が山中にあり、要塞・籠城を思い浮かべることでしょう。

国道406号を北上すること約1キロに仮住居、現在は本墓・供養墓のある東善寺です。ここには多くの史料があり、100円で見ることが出来ます。屋敷跡を散策しながら往時に想いを馳せ、墓参と史料の見学は、周辺城郭のリア攻めに含めて廻られることをオススメします。

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore