矢田陣屋
矢田陣屋([一郷山城 周辺城郭])
一郷山城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「矢田陣屋」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
矢田陣屋の口コミ情報
2026年03月11日 マグロ常陸介祐平
矢田陣屋は、五摂家の鷹司家の流れを汲む鷹司松平氏の初期の陣屋となります。初代信平は、関白鷹司信房の4男で3代将軍家光の正室孝子の弟にあたります。慶安3年(1650年)信平は姉を頼り江戸に出て家光に仕えます(1000俵)。承応2年(1653年)紀州藩主頼宣の娘を娶り、承応3年には紀州徳川家の縁者として松平の称号を許され、従四位下左近衛少将に任官し(4000俵)、延宝2年(1674年)には上野・上総において7000石を与えられ木部(高崎市)に陣屋を構え、延宝7年には矢田に陣屋を移しています。おそらくこの時に小林氏の戦国期の城郭である矢田城を陣屋として使用したと思われます。一旦木部に陣屋を戻すも3年で矢田に戻り、信平の死後に子の信正が当主となるも僅か2年で没し、信清の代になると宝永6年(1709年)に3000石を加増されて1万石となり矢田藩を立藩、矢田陣屋は藩庁となっています。宝暦3年(1753年)、信友の代に吉井に陣屋を移し藩庁としての役目を終えています。鷹司松平氏は、寄合の旗本(交代寄合ではない)から江戸定府大名となっている為、陣屋に居住したことはないと思われます。
陣屋は西側の街道沿いにあり、街道に沿って空堀と土塁がL字形に残り虎口も見られます。近世の城郭ですが、小林氏の矢田城(居館的ですが)をそのまま使用したのではないかと感じさせる土のお城です。陣屋の東側は断崖となっており、北東部には年代不明な宝篋印塔も見られます。また、お隣には小林氏の矢田代官所があります。









