長根城

長根城([奥平城  周辺城郭])

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長根城の口コミ情報

2026年02月09日 マグロ常陸介祐平


長根城は、小幡氏の一族とされる小林氏が天文~永禄年間に居城して長根縫殿助を名乗ったとされます。その後、縫殿助は石倉城(群馬総社)に移って滝川一益に従い、神流川の合戦に参戦したようです。天正18年、依田康国は石倉城で寺尾左馬助に殺害されていますが、依田氏の系図には長根縫殿助に殺害されたとあるようです。

築城間もない頃に長根を去った長根(小林)氏の後には、小河原(長根)右馬助重清が城主となったようで、永禄6年の武田信玄による上野侵攻で武田氏に従い、生島足島神社の起請文にその名が見られます。重清は、天正8年の膳城の戦い(膳城素肌ぜめ)で討死したとされています。

長根の武士は長根衆と呼ばれ、縫之助(=縫殿助?)、雅楽助などが同時代に表れ、関係は複雑そうです。小河原系図では、縫之助は諱を信秀(=右馬助重清?)とし、小幡信実の弟とされ、縫之助信秀の子の縫之助信盛が小幡から小河原に改めたとしているようです(埼玉苗字辞典より)。

また、城域にある小河原家の墓碑には、「小河原氏は武蔵七党の第一児玉党の一族にして、藤原伊周公七世の孫小河原重長を始祖とす。」から始まる小河原氏の歴史を刻んでいます。

天正18年、長根には奥平信昌の子で徳川家康の養子となった松平家治が7000石で入部しますが、長根城には入らず、下仁田街道沿いに陣屋を構えています。

お城は台地の縁に築かれ、本丸は100m‪✕‬80m、城坂と呼ばれる自然地形を利用した坂を境に西側には、100m‪✕‬150m程の二の丸で構成されていたようです。本丸入口には虎口のようにも見える土壇があり、上部はお墓になっていますが、巨大な土塁の痕跡かもしれません。本丸の中はお墓と畑になっており、周りは少し低くなっています。低い部分は堀跡とされるようですが、虎口のような土壇が土塁の痕跡とすると堀跡との関係がつながりません。廃城後に本丸は寺院となり、明治になると学校が建てられたことで、かなり改変されているように感じました。

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