多比良城

多比良城([奥平城  周辺城郭])

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多比良城の口コミ情報

2026年03月09日 マグロ常陸介祐平


関東管領上杉氏の平井城の支城で、多比良豊後守友定が城主とされます。現地の説明板には、一郷山城と別城一郭をなしていたと書かれていますが、山上の詰城の一郷山城とは直線で約3km程離れています。永禄3年の関東幕注文に惣社衆として記載されており、高崎市文化財情報によると、永禄6年の武田信玄による上野侵攻では隣接する普賢寺(写真7枚目)と共に焼け落ちたとし、お城には上杉家の宝物が収蔵されており、友定は武田氏にさらわれるのは末代の恥ということで、宝物を焼き捨て子女を自害させ割腹して果てたとしています。実際には友定は武田氏に降ったようで、甲陽軍鑑には西上野衆として「たい羅 四十騎」と多比良氏の名が見られます。武田氏が滅びると北条氏に従いますが、天正18年の小田原の役では上杉景勝軍の先鋒藤田能登守信吉に降伏し、お城は廃城になったようです。上杉景勝の家臣の子の夏目定房の著した軍記「管窺武鑑」には、藤田信吉に息子を人質に降伏するも、北条氏邦に内通したことがバレて友定は殺され、息子は仕官するも3年目に病死して多比良(平)氏は断絶したと書かれています。

お城は東に土合川、西に杉井戸川が流れる舌状台地上に築かれ、規模は南北250m×東西200m、本丸は南北90m×東西80m、複数の曲輪で構成されていたようです。本丸は畑、本丸南側の空堀はソーラー発電となっています(写真1~4枚目)。ソーラーの空堀は浅く不自然な広さで、どれくらい旧態を残しているのかよくわかりません。北側は、結構な崖になっており要害性は感じられます(写真5,6枚目)。

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