岩崎城
岩崎城([奥平城 周辺城郭])
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岩崎城の口コミ情報
2026年02月01日 マグロ常陸介祐平
応永年間(1394~1428年)に岩崎左衛門が築城したとされ、天文年間(1532~1555年)に岩崎美濃守蔵久の子の蔵景が新田荘に移るまで居城したとされます。500m程西に建つ覚性寺には、宝徳元年(1449年)岩崎左衛門入道教阿の位牌あるようです。岩崎氏が移った後、岩崎村には武田氏に従う井上氏が居り、井上勘解由助清重は永禄7年(1564年)に信玄より倉賀野城攻めに活躍して賞されたようです。岩崎城は居館という感じではなく、井上氏がお城を利用したのかは不明です。
県道200号線を岩崎神社手前で北に曲がると、弁天池があります。池越に見る岩崎城は高さもなく攻略は楽勝と思われました。池を過ぎ、民家の脇からお城方向に向かう林道を見つけ、探索を開始しました。すぐにまっすぐ進む道とやや戻るようにお城を回り込む道に別れますが、まっすぐ方面は北にズレるように感じ、帯郭状にお城の南側を進むコースをとりました。竹林の中で、城に入れそうな場所からアプローチしますが、主郭まで僅かなところで激薮に撃退され、東側の中国化薬の敷地の堺の道から入り口を探すも薮に阻まれてしまいました。結果として、狭い空間を40分さまよって遺構は確認出来ずじまいとなりました。余呉さんの解説によると縄張りは山頂部の長軸15mほどの主郭を中心として、周囲に腰曲輪を配置したもので、物見や狼煙台等の施設の設置場所というべきものであろうとしています。









