嶺城(田中城)
嶺城(田中城)([大胡城 周辺城郭])
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嶺城(田中城)の口コミ情報
2024年11月11日 マグロ常陸介祐平
上杉氏から離反を繰り返した北条高広が永禄年間に築いたとされるお城で、家臣の田中大弐正常が居城していたとされています。正常は元々那波浪人で、高広と那波氏の関係から被官になったと思われます。
地元自治会でコースが整備され、見やすいお城となっています。コースは、3郭と4郭の堀切、西側の堀底を通り、本丸の南にある虎口から入城するかたちとなっており、本丸以外の郭には、立ち入れません。
5つの郭はそれぞれ堀切で区切られ、大変な土木量を感じます。中央にある本丸は、他の郭よりも小さめとなっているようです。
約3年半前の先人様が口コミされた駐車場は、草が生い茂り停めるのに躊躇しました。維持は大変そうです。
2021年02月18日 真田上野介信吉
戦国時代、日本各地に大小、多くの城が築城されました。芳賀地区にも9か所の砦や城址があります。
嶺城は、戦国時代の丘城で田中城ともいわれます。古文書によると田中(嶺)城は永禄時代(1558~1570)中期に北條丹後守(前橋城の城代の一人)により造られ、この家臣の田中大弐が居城していたと記録されています。
城は並郭式(連郭構造の城で、本郭が中央にある)の丘城で、本丸は意外な程小さく、南北40㍍、東西70㍍にすぎないが、その北と南に連なる郭は大きく、それぞれの郭の間には堀切(空堀)があります。堀切は驚くほど複雑で大掛かりなものです。城域は東西最大200㍍で、南北の全長は500㍍あまりです。
ー説明板よりー
説明板にも記載の通り、前橋(厩橋)城の城代であった北条高広の築城から、前橋城の周辺城郭でスポットを立てることも考えましたが、大胡城の方が約2㌔程近いことから大胡城の周辺城郭としました。
ありがたいことに、地元自治会による見学者駐車場、また北第3郭と北第4郭の堀切に登城口を設けてくれています。
この登城口には散策にあたっての注意書きがありますから、一読後散策開始です。
堀切の突き当たりからは、帯郭にも見えるような幅の横堀を本丸目指して歩きます。
北第3郭→北第2郭の切岸を左手に、本丸と北第2郭の堀切堀底からは本丸への急斜面。この急斜面には手摺と階段が付けられているので楽に登り降り出来ます。
本丸南側に回り込み土塁の切れ間が虎口となります。本丸は綺麗に整備されていました。本丸南側は南第2郭と南第3郭。こちらは物凄い竹藪です。
嶺城は私有地です。地元自治会の方々のご尽力により、ありがたくも散策させて頂く、という感謝の気持ちでリア攻めしましょう。