大胡館(養林寺館)
大胡館(養林寺館)([大胡城 周辺城郭])
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大胡館(養林寺館)の口コミ情報
2023年04月02日 マグロ常陸介祐平
大胡氏の居館で、養林寺の本堂裏に空堀の一部がL字型に残っています。養林寺は大胡城主牧野氏の菩提寺で、藩主の墓(写真2)や徳川将軍の供養塔(写真1)があります。お寺の門には桝形の古い石垣があり風情を感じます。
大胡氏初代の大胡太郎の墓(写真7)は300m程離れた長善寺にあります。
2022年03月12日 まー刑部卿
山門にある案内表示に【養林寺館址 牧野家の墓】とありました。また山門脇にある『養林寺縁起』に史跡欄に館跡と思われる二重堀や牧野康成侯の墓等と記されていました。山門も江戸時代の桃山風様式と呼ばれる古い門でした。山門を抜けると本堂で葵御紋が見えます。本堂に近づくと左脇に人懐っこい犬が居ます。遊んでいるうちに時間が過ぎていきます。牧野家墓地は墓地の中を進んで行くとわかりやすい形で見つかります。二重堀は墓地のを抜けて右側に進んで行くと堀跡の入り口があり先人のいう住職さんもその辺りに居ます。土日に遭遇しやすいかと思われます。時間がなかったり話しかけづらい方は平日訪れるか竹林の隙間からでも見えます。駐車場とトイレがあります。
2020年11月04日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
群馬県の前橋市にある大胡氏館跡☆この館跡は大胡城の直ぐ近く養林寺がその場所になります♪
大胡氏は鎌倉から室町時代にかけて上野国(現・群馬県)で勢力を持った上州八家の一つとなります☆
大胡氏の始まりは大胡太郎に始まります☆
治承・寿永の乱では源氏方で参加していて『平家物語』にも源頼朝軍に集った関東各地の武将の中に大胡太郎の名が残ります☆源範頼の九州征伐に従軍する中にも大胡氏の名前があり大胡三郎実秀が記載されてます♪鎌倉幕府の下で御家人として活動しました☆
現在、館跡である養林寺の背後には空堀が一部残ります☆大胡城の後の城主の牧野氏の墓も残っています♪大胡氏の後の城主は牧野氏♪この牧野氏は徳川家康の合戦にはほぼ全て出ているんじゃ無いか☆と言う位の猛者中の猛者様です☆
争いの絶えなかった上州の地だからこその人選だったのでしょう☆
話変わり養林寺をウロウロして居たら草刈りをしているお爺ちゃんに声を掛けられました☆そのお爺ちゃんが上がって行けと養林寺の歴史のビデオを見せてくれました☆
お爺ちゃんは住職様だった訳ですが、
ビデオを見た後に住職様のカミングが☆何と思えば住職様は北条氏邦様の末裔でした☆
※養林寺をアップ許可済み♪
帰る時に頂いたパンフレット見たら苗字が北条…♪ぶったまげましたw
北条氏は秀吉による小田原征伐の跡、生き残り組は身を潜める様に仏門に入った方が多かった様です☆その名残が今を生きている☆
何だかご縁に感謝したいそんな大胡氏館でした☆
因みに…余談ですが、徳川家康の家臣である牧野氏の墓を今も守っている、北条氏の末裔☆何だか不思議☆
牧野氏が家訓としていた【常在戦場】常に心は戦場にあり♪心に響きました☆
更に牧野氏が軍旗にした【五間梯子】♪
行かれた際は是非是非住職様にお会いしてみて下さい♪凄く面白いお話が聞けます☆
出会いって素敵ですね♪
優しいお爺ちゃん♪
また遊びに行くね☆
住職様☆
2019年05月19日 牢屋見廻り同心マダオ
大胡館は鎌倉時代、大胡太郎実秀の館と言われています。大胡城の西に位置し、平時は居館として使われていたと思われます。養林寺本堂裏に土塁と堀が残されています。
館跡に建つ養林寺は大胡太郎実秀が浄土宗の草庵を建立したのが始まりで、その後は衰退しますが、天正十八年小田原合戦後、関東に入った徳川家康の家臣、牧野康成が大胡2万石で大胡城に入り、養林寺を再興し、牧野氏の菩提寺としました。墓地には牧野氏累代の墓があり、墓地入口には徳川歴代将軍の供養塔もあります。