新田義貞の墓(金龍寺)
新田義貞の墓(金龍寺)([牛久城 寺社・史跡])
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新田義貞の墓(金龍寺)の口コミ情報
2023年01月22日 昌幸近江守晩秋リア旅
旧水戸街道・若柴宿の金龍寺に新田義貞の墓があります。なぜ縁もゆかりもない茨城県南の地にあるのか疑問に思っていました。それは子孫の由良国繁が牛久城の城主になったことがきっかけでした。
金龍寺は1321年(元享1) 新田義貞の創建、天真禅師の開基と伝えられています。義貞死後は新田氏歴代の菩提寺として、はじめ上州新田郡(群馬県太田市)にありました。その後本拠の移転とともに上州桐生城内へ、小田原征伐の際に豊臣方に味方した功績から、牛久に国替えになったときに、寺も一緒に移ってきました。しかし由良氏は二代・貞繁に嫡子なく、減俸処分を受け牛久城主の座を明け渡す事になりました。その後の由良氏は高家となり牛久の東猪穴(JR常磐線ひたち野牛久駅あたり)に領地を賜りました。金竜寺と義貞の墓は、幕府の庇護を受けて、ちょうど牛久沼の対岸、龍ケ崎若柴宿の古寺を改修してここに移されたのです。
四基並んだ五輪塔、向かって左から
●新田義貞
●横瀬貞氏(新田義貞の孫)
●由良国繁(新田金山城主になった際に改称)
●由良忠繁(由良家3代目・国繁の次男)
の順に並んでいます。