足高城
足高城([牛久城 周辺城郭])
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足高城の口コミ情報
2024年06月06日 マグロ常陸介祐平
お城の歴史については先人様が口コミされています。岡見氏に関しては、足高城・牛久城のどちらが本宗か意見が分かれているようです。
城域は相当広い範囲だったようで、城の東端から北西に1km程離れた千手院付近まであったようです。主郭の西側平野部の根小屋地区には戦前まで巨大な土塁が存在しており、平時の居館があったと思われます。
郭の名称が資料によりまちまちなので、表現が難しいのですが、遺構は主郭と足高八幡神社の建つ出郭周辺には土橋・堀切・土壇(写真1,2,3,4枚目)など、「城中」の看板のある主郭の北の郭周辺にも郭を仕切る堀切(写真6,7枚目)や台地の西側端部の横堀(写真5枚目)が確認できます。民家の庭にあるため写真は撮れませんが、「城中」の看板のあるブロック塀の内側には折れ部分を含む堀切を見ることができます。
岡見氏は、足高系・牛久系ともに北条氏改易後も幕臣、紀州藩士、水戸藩士、彦根藩士として存続したようです。
2022年04月06日 昌幸近江守晩秋リア旅
つくばみらい市にある足高(あだか)城。
牛久沼西岸の比高15mほどの台地に築かれました。
築城時期は不明ですが、天正年間には岡見氏の持ち城として史料に現れます。
東岸の本拠地・牛久城や東林寺城と「牛久沼ネットワーク」を組み、付近一帯を治めていたと思われます。
次第に下妻城多賀谷氏の侵攻を受けることとなり、布川城豊島氏や小金城高城氏の力を借りて撃退します。
そしてとうとう多賀谷氏に楔を打たれるかのように、中間地に泊崎(はっさき)城を築かれてしまい、ネットワークは破綻。
北条氏に援軍を求めます。一進一退を繰り返すも最後は落城、牛久城へと撤退します。
現在残るのは台地の先端部である主郭(竹藪)・3郭(城中公民館)・出郭(足高八幡神社)で、他は宅地と耕地で消滅しています。
神社の境内にもあたるので、大手を振って探索できないところもありますね(笑)
ただ見られる遺構は素晴らしかったです。
3郭が公民館ですので、ここまで車で来ちゃいましょう。
【写真の説明】
①3郭。土の盛り上がりは土壇とされる。
②参道になっている主郭-出郭間の土橋。
③参道脇の主郭-3郭間の土塁。
④出郭にある足高八幡神社。
⑤主郭-出郭間の堀切。
⑥主郭-出郭間の堀切、別アングルで。