高田神社
高田神社([神宮寺城 寺社・史跡])
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高田神社の口コミ情報
2021年07月05日 国府左京大夫城介
南北朝時代には南朝に属した東条庄第一の総鎮守
【歴史】
・承平年間(931~937)に、紀伊の熊野大社の分霊を勧請し、平将門の乱の平定を祈願するために創建。
・寛治年間(1087~1093)に勅願所となり、東条庄第一の総鎮守。
・文治年間(1185~1189)に、源頼朝が奥州平定を祈願し東条庄500町歩を寄進。
・延元3年(1338)、南朝方の北畠親房が神宮寺城に籠城した際に味方をするが、北朝方に神領を没収。
・慶長7年(1602)、徳川家康から社領として257石の御朱印地を寄進。
・明治4年(1871)に郷社となる。
(高田神社の説明版、稲敷市のHPより抜粋)
【遺構】
神宮寺城から西に2.1kmに位置し、比高20mほどの舌状台地にある神社です。
祭神は伊邪那岐命など八柱。
南北朝時代には北畠親房に加勢したこともあり、城郭としての遺構も残っている。周囲は天然の切岸となっている急峻な地形となっており、天然の要害となっている。また、駐車場がある所は一段窪んだ地形となっており、郭のように感じる。また、社殿の背後には高さ2m程の土塁があり、その先にも長形の土塁上の地形がある。
なお、この高田神社の東側に神主さんの家があり、そこには城の遺構が残っているという。(未確認)
【感想】
神宮寺城から江戸崎城に向かう途中で、立派な鳥居(冠木門?)があったので立ち寄ってみたら、まさか思わぬ出会いをしてしまったという感じです。南北朝時代、戦国時代といった戦乱を生き延びた神社だけあって、要害としての部分もしっかりと残っています。特に西側の切岸は高さもあり、緩やかに曲がりながら落ちていくので、攻撃側からすると攻めにくい地形となっています。
全く予定がなくリア攻めしたため、見落としている箇所はあるかもしれません。しかし、個人的には訪れて損はないかと思いますので、この方面にリア攻めするのであれば、是非訪れてみてください。
【アクセス】
神宮寺城から徒歩30分。江戸崎城から徒歩40分。
公共交通機関としては、バス(龍ヶ崎発・佐原発など)がありますが、どちらも本数が少ないので、稲敷市のHPで調べてください。
【写真】
1:高田神社の鳥居
2:社殿
3:社殿背後の土塁
4:社殿の北側にある土塁
5:東側の切岸
6:西側の虎口
7:西側の切岸