地獄沢の由来
地獄沢の由来([月居城 碑・説明板])
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地獄沢の由来の口コミ情報
2022年05月02日 疲れた人
地獄沢の由来
この小高い丘を登ると正面に見える沢が嘆願沢、刀拭き沢、地獄沢と続く地域である。小生瀬村は佐竹氏の善政で村民は佐竹を追慕していたが秋田へ国替えされた。その後、水戸藩となり年貢を徴収され支払ったが再度の徴収に激怒し偽役人と言って竹槍等で殺害した。それを聞いた水戸国老や頼房が小生瀬村を襲撃せよとの命に数百の兵を率いて小生瀬村民を斬り殺し逃げ場を失った老若男女は、この沢へと逃げ込んだ。役人が後を追いかけ行き止まりの沢で斬り殺されたその処を地獄沢、刀を拭いた処を刀拭き沢、助けを求めた沢を嘆願沢と言う字名が実在している。歴史的証は無いが代々言い継がれている。現在、地獄沢は荒れ果て尋ねるも困難である。(案内板より)
谷沢要害を口コミで紹介した時に、さらっと書いた生瀬乱について書いてある看板が大子町内にあります。
この事件については、江戸時代の後期に入ってから、水戸藩の学者が地域に伝わる伝承を整理して、藩による武力鎮圧を書物にまとめたことから知られるようになりました。
色々な方からこの件について話を聞いていると、この事件には、事件が起こった時代や事の発端を含めて諸説あるようです。
自分は、沢山の方にお話を聞いたわけではありませんが、ただ、昔、一村惨殺があったという事件は地元の方に広く認知されているように感じました。
看板の裏の丘を上がると確かに沢が見えます。暗く深く静かな沢の写真を撮る気にはなれず遠くからそっとお祈りしました。