大窪城
大窪城([助川城 周辺城郭])
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大窪城の口コミ情報
2026年07月13日 里のシロクマ主税頭
ナビを暇修館に合わせて行くも、狭い道を上へ上へ導かれ、知らないうちに天神山城の正伝寺に来てしまう。目的の大窪城を目指し、車1台分の車幅の道を下りやっと暇修館に到着。下調べで数台の車が駐車可能との事だが広場のようでした。この日は休館日で暇修館は見学出来ず城見学に気持ちを切り替え歩き出す。
入り口付近に、史跡 大窪城跡 暇修館跡の石碑と説明板がある。内容は「この場所を中心として、東西220m南北150m一帯が大窪城の範囲と考えられ、西側に張り出す尾根上に築かれた天神山城とその南方の愛宕山城と合わせて大久保城とも呼ばれている。大窪城は、治承元年平氏一族の大掾宗幹が大窪郷の愛宕山に築いたのが始まりとされ十四世紀奥州の石川氏の三男茂光が佐竹氏に仕え初代大窪城主となり以降大窪郷を支配する事八代200年に及んだが、慶長7年、佐竹氏の秋田国替に抗議し、城主大窪久光らはは水戸城の奪還を謀ったが失敗城は廃城となる。 暇修館は水戸藩の郷校で水戸藩のうち五番目に古いもので初代館守大窪光茂のもと医学、剣術、弓術、射撃訓練が行われた」とあります。
遺構は、建物の回りを土塁が守りを堅め北西方向には二重堀が残る、堀も結構深くしっかりと残っている、土塁上を進むと「大窪城本郭跡、二重堀と土塁」の標識と「ふるさと探訪パートⅡ、大久保の史跡と自然で遊ぶ会の方々の活動紹介」の説明書がおいてあった。しかし、その先は私有地のため入れなかった。
2023年08月11日 マグロ常陸介祐平
奥州石川氏の子孫大窪氏が、佐竹氏の家臣として八代200年間この地を治め、16世紀の戦国期に築かれたお城です。大窪久光は関ヶ原の戦い後、佐竹氏の秋田国替えに反対して車斯忠と水戸城奪還を謀ったが失敗し処刑されたようです。
本郭は土塁に囲まれ、西側には7mの深さがある空堀が残ります。大変な土木量を感じるお城です。
本郭には、庶民も学ぶことが出来る水戸藩の郷校、暇修館が復元されており、初代館守は大窪氏の子孫の大窪光茂が就任しています。
詳しい解説は、先人様がこのお城と一体となっている愛宕山城・天神山城と三城の口コミを投稿されています。









