文太長者屋敷

文太長者屋敷([津賀城  周辺城郭])

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文太長者屋敷の口コミ情報

2025年11月13日 河堤北星
御伽草子『文正草子』の主人公である文太長者の居館があったとされています。現在は大野潮騒はまなす公園として整備されています。

※注意※以下において、出典とする『文正草子』はおとぎ話とされていますが、(他にそれらしい文献がないので)内容は真実であると仮定して解説します。また、読み物として『文正草子』のネタバレも含まれますのでご注意ください。

屋敷主とされる文太長者は元々鹿島神宮に仕える下男でした。とある日に文太は自分の力で他のことも試してみたいと言い、鹿島神宮宮司に惜しまれながらも神社を離れ、角折の浜という場所に移り住んだとされています。「角折の浜」は現在の鹿嶋市(旧・大野村)であるとされ、この時点で後の文太長者屋敷とされる場所に住んだとされています。
角折の浜に移り住んだ文太は、塩焼きをはじめ、その塩は上等で評判となったそうです。わざわざ遠国から買いに来る人もいたそうで、文太はお金持ちになり、「塩焼きの文太長者」と呼ばれたそうです。城という面で見ると、文太長者屋敷はこの頃に元々の家屋を増築する形で築城されたと考えられます。
その後、文太は「文正」と改名し、近くの村の豪族の娘と結婚したそうです。不自由なく生活していたものの子宝に恵まれず、鹿島神宮に願掛けすると、2年連続して女児が生まれ、それぞれ蓮華御前(姉)と蓮御前(妹)と名付けられました。とても美しいと評判になり、蓮華御前は中将の嫁に、蓮御前は帝の后になったそうです。文正(文太)は二人がいる都へと行き、大納言にまで出世したそうです。おそらく、屋敷はこの際に廃城になったと考察できます。

以上が民話『文正草子』を交えた屋敷の来歴についてです。冒頭の通り、現在跡地は大野潮騒はまなす公園として整備されており、付近には土塁や空堀と推定される地形が残っています。しかし、公園内に公民館を建てる際に発掘調査も行われましたがこれ以上のものは特に何も発見されなかったそうです。そもそもとして、これらが実話の場合、『文正草子』に登場する「豪族」や「帝(=天皇)」とは誰を指しているのでしょうかね?特に蓮御前は天皇に嫁いでいるので他の文献にも少しくらい登場しそうなものですが、それらしい人物は見つかりませんでした。もちろん民話としての脚色の可能性も大きいですが、やはり気になるところではあります。脚色だとすると、この話はどこまでが実話なのでしょうかね?文太本人自体も民話上の人物でその存在が不明確なため、この遺跡が本当に文太の屋敷跡なのかも怪しいところです。
文太が実在したとしても、少し気になるのは、『文正草子』を見る限り文太は中世の人物と言えど、どちらかといえば庶民(もしくは官民)であり、戦などとは無縁そうな気がすることです。堀や土塁があったとしても、強盗対策として造られたものの可能性もあります。その場合この遺跡は城館なのかも微妙になります。ただ『全国文化財総覧』には住居跡ではなく城跡として記載されています。

大野潮騒はまなす公園には「文太長者屋敷跡」の石碑も建っています。文太が実在したにしろ架空にしろ、土塁がある以上は何かしらあったのは確実でしょう。民話でのみ伝えられる謎の城主・文太と大野の土塁。ぜひ見に行ってみてください。城跡としてではなくても、公園自体自然豊かで景色もいいですので行く価値はあると思います。
ちなみに、最寄り駅は「長者ヶ浜しおさいはまなす公園前」です。元・日本一ながい駅名です。「長者」はやはり文太のことなのでしょうかね?

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