上条城
上条城([塙城 周辺城郭])
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上条城の口コミ情報
2025年06月01日 マグロ常陸介祐平
城主の大越氏は、土岐氏や臼田氏らと共に「信太庄山内衆」に属し、南北朝時代末期に関東管領山内上杉氏が信太庄を支配した時に、この地に赴任しています。上杉氏が衰えると土岐氏に属しますが、天文年間(1532~1555年)には小田氏の勢力により落城し(大越氏の系図によると天文12年に土岐原治頼(美濃守護頼芸の弟、味方のハズ?)により落城)、下総に落ち延びたとされています。
軍記物(菅谷伝記?)では、その後小田氏の家臣江戸崎監物が城主となり、近藤氏の守る木原城を落とすなど活躍し、天正3年に土岐氏の家臣諸岡逸羽(一羽、土岐一族で剣豪)により上条城は落城し、監物は自刃したとしていますが、説明板では信じるに足りないと一蹴しています。
永禄年間(1558~1570円)になると大越氏は上条城に復帰しますが、天正18年に江戸崎城が落城すると上条城も廃城となり、大越氏は帰農しています。
城域は広かったようですが、周辺の集落が近世初期に城跡に移転してきた為、大部分が失われています。帰農した大越家の裏から、隣接する分家の裏庭までが本郭とのことです。私有地の為、入れませんが、道沿いの土塁やお庭にある土塁が確認出来ます。説明板の右側には、空堀のような溝も見られます。本郭の南西に建つ万蔵院の裏にも遺構が残るようですが、薮の為、確認できていません。
2022年03月04日 昌幸近江守更に吉
塙城の西2kmに位置する上条(じょうじょう)城。
南北朝時代末期、関東管領上杉氏の家臣団「信太(しだ)庄山内衆」である大越氏が入城した。上杉氏が衰えた戦国時代には土岐氏に属した。
小田氏の勢力が強まった天文年間に落城し、小田氏の家臣である江戸崎監物が居城としたものの、永禄年間に再び土岐氏の支配するところとなり大越氏が復帰。
天正18年(1590年)の江戸崎城落城とともに廃城となり、大越氏も帰農したという。
城域はかなり広かったらしいのですが、集落と化していて、道で遺構も寸断しており、当時を示した史料も乏しいため、詳細は把握きません。
民家の裏庭にに土塁と堀が確認できました。こっそり写真を撮らせてもらいました。そして稲荷社があり、確かに土岐氏が治めていた痕跡があります。周りの草刈りもされていて感謝です。
車は稲荷社の端っこに停めました。
【写真の説明】
①道路で寸断されたところから、郭と土塁を見る。
②土塁1
③土塁2
④堀底から郭を見る。
⑤稲荷社のある郭と堀跡。
⑥稲荷社。土岐氏が治めていた証。