堀ノ内砦
堀ノ内砦([芹沢城 周辺城郭])
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堀ノ内砦の口コミ情報
2022年05月02日 疲れた人
見に行った城が良すぎて、この城に住みたい!住まわせてくれ!ダメならせめて一泊だけでも…と思うことはよくあると思います、多分…
こちらは、もしも1人で住むならちょうどいいサイズ…ちょっと広めの堅い土塁付きワンルーム、これは本当に今日から住めるなと真剣に思った砦です。
砦の来歴なんですが、常陸武田氏によるものとされています。今は北浦から距離がありますが、昔は北浦がすぐ近くに迫り、付近を流れる巴川は北浦の入り江だったそうです。北浦の水運管理などを見張る、担っていたのでは…とされています。
単郭を意外と高くてでかい土塁と堀がしっかり囲み、一部は横矢がかっているし、写真にならないんですが、竪堀付きと優良物件の条件がしっかり揃っています。
単郭の砦…と聞いて思うような土塁と堀のサイズじゃないんです。
あの木崎城や野友城を作る武田氏らしいがっちりしたいい砦でした。
ただ、郭内がなぜか虎口方面、東にユルく傾いています。
入居にあたっての告知事項です🤣
常陸武田氏っていうのは…
源義光(新羅三郎義光)の次男とされる源義清が武田郷(ひたちなか市武田の辺り。城めぐに武田氏館の登録があります)に所領をもらい武田冠者と名乗り、武田氏発祥→この頃水戸にいた大掾氏とモメる、朝廷に訴えられる→甲斐に流されるも一族繁栄(甲斐武田氏のおこり)→上杉禅秀の乱で天目山で自刃した武田信満の弟、武田信久が上総や下総を経て行方郡に土着…
めちゃくちゃ雑ですがだいたいこんな流れです😂
自分の出自を知っていて常陸に戻ったのかはわかりませんが、常陸武田氏は周辺の烟田氏や鹿島氏、時を経てもやっぱり仲良くなれなかった大掾氏とぶつかります(笑)
その後、最後の当主だった武田信房は、佐竹義宣による南方三十三館仕置により、太田城にて誅殺されます。その子である輔信は、浪人の末に徳川光圀に仕えたそうです。
※文章を直してたら消しちゃったので…何回もすみません💦